Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

自転車通勤風景。。。押しボタン式信号の不仁

私の通勤経路の中に、押しボタン式信号の小さな交差点がある。
幹線道路の抜け道になっているらしく、小さな通りの割には自動車が多いのだな。

ここで、車の途切れるのを待っておった。
で、ちょっと途切れたので(赤信号だが、ボタンを押していない)さっさと渡ってしまう。
私と一緒のタイミングで、おばあちゃんが渡りだした。
私よりもおばあちゃんは足が遅い。(当たり前だ)
そこに、猛スピードのオートバイがやってきた。渡りきろうと慌てるおばあちゃんの背後を、オートバイはすり抜けざまに大きくクラクションを鳴らした。
「なにやってんだ、危ないぞ!」と言いたいのであろうな。
私は、このオートバイの乗り手を「不仁の人」だと思ったのである。

なんで、おばあちゃんは押しボタン信号を押さないのか?
それは、自分が渡るのに、たくさんの車を停めるのが申し訳ないと考えてしまうからだろうね。
日本風に表現すると「世間様に迷惑をかけないように」と思っているからだろうね。

老子に「大道すたれて仁義あり」という言葉がある。
考えてもみられよ。
おばあちゃんが通りを渡るのに、クルマやオートバイがみんな一時停止してくれたなら、そもそも押しボタン信号はいらん。なんで押しボタン信号が必要になったかと申せば、それは、渡りたい歩行者がいても、みんな自分さえ良ければいいので、誰も止まってくれんからだわな。
しょうがない、やむをえんから、信号機をつけたんである。

押しボタン信号がほかの信号機と異なるところは、常に利用者が歩行者であることだわな。クルマのための押しボタン式はなかろ?通れる間はクルマが全部通れ、歩行者はクルマをとめてちょっと「通らせてもらえ」ということだろ?
これほど、クルマ優先の思想を形にした信号機はあるまいなあ。

なるべくクルマを止めまいと考えたおばあちゃんに「おまえはじゃまっけだ!!」とクラクションを鳴らして通りすぎるオートバイ。オートバイが悪いんではないんである。モノに善悪はなかろ?
オートバイに乗っている人間の心が不仁だと思うのである。
他者を配慮する心遣いが感じられん。
なんでおばあちゃんが、押しボタンを押さないで渡ろうとしたか、考えたこともないなら阿呆であるし、分かっているなら不仁の人である。私が「不仁の人」といったのは、想像力不足の阿呆とまでは言ってはいかん、そこまではわからんではないか、と思って配慮したんである。

一介の自転車乗りである自分には、なんの力もない。
こんなのは、私のつまらない個人的感想にすぎんのである。
通りすぎるオートバイを見ながら「無情だのう。。。大道すたれて仁義あり」とつぶやくしかないんである。

そんなことを思いながら、自転車通勤しているんである。