Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

菅直人氏にみる論理破綻について

この文は、有名政治家の発言であってもロゴスの立場から奇妙不可解であるという例を示すものです。
政治問題は、ロゴスがありそうでないことが、きわめてわかりやすいんです。

菅直人氏はこう言います。
「押しつけ憲法と言うが、きちんと帝国議会を招集し、改憲手続きに沿って制定された日本国憲法であり、決して無効ではないし、それをもって改憲の原因にすべきでない」
この主張は実定法を重視する法理に沿っており、これ自体、充分に一つの主張として成立しております。
しかし、
日韓併合条約は無効なものであった。それは、日本が武力で押しつけたものだから」
を同一人物がおっしゃるので驚くわけです。
「たとえ押しつけだろうが、きちんと手続きに沿ってるなら有効って、あんた言ったじゃんか?」
いったい、どっちなのさ?
憲法も法であり、条約も国際法に則った法的行為です。
いきなり破綻しています。なんで誰も指摘しないのか、不思議でなりません。

天皇に戦争責任があった。天皇は退位すべきであった」
これ自体は、一つの立場の主張と言えましょう。
「日本は、サンフランシスコ条約で、東京裁判の結果を受け入れると言ったのだから、東京裁判の正当性は別にしてもその結果を受けて入れて・・・」
おいおい?です。
東京裁判の結果ならば、天皇に関しては「不起訴処分」という結果が出ております。
もしも「天皇に戦争責任があった」というなら「東京裁判は間違っている。天皇を訴追すべきだった」であり、結果を受け入れるなら「天皇は不起訴無罪」です。アタリマエです。
誰でも分かる理屈ですね。

なんで、このように、論理の一貫しない発言が出てくるのでしょう?
彼自身は、いったいどういう理屈で、この一連の発言をしているのでしょう?
どうして、世間の人は、この論理矛盾を指摘しないのでしょう?

それは、政治的発言が、往々にして単なる「思想信条の表明」「右・左というイデオロギー的立場の表明」だと思われているからです。よって、ロゴスを求めていないのでしょう。

しかし、このように問題に応じてコロコロと立場が変わるのでは、いったい何を信じればよいのでしょう?ロゴスではないですね。信じるならば、それは思想信条やイデオロギーになるわけです。
アイドルのファンクラブと同様の支援の構造です。
これじゃ、まともな議論はできません。議論は、ロゴスによるものです。
宗教同士の意見が噛み合わないのと同様ですが、「私は宗教者である」と言明しないだけ、始末が悪いのです。ロゴスがないのに、あるふりをしますから。

政治がイデオロギーや思想・信条の表明であるという立場を捨てない限り、選挙の投票率は上がらないと思うのです。


ま、どうせ屁理屈と言われるんですがね。(笑)