Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

耶律楚材

「耶律楚材」陳舜臣

モンゴル帝国建国時の重臣である。
モンゴルは、出身にかかわらず有能な人材を登用したことで有名である。
結局、相続で分割されていき、最後は消えてしまうのだが。

耶律楚材は、もともと遼を建国した耶律阿保機の7代の子孫らしい。
宋を圧迫していた金国につかえ、金がモンゴルに滅ぼされそうになるとモンゴルに仕えた。
そのため、長らく「不忠の臣」とされ、あまり有名ではなかったようだ。
清の時代になってから、その業績がたたえられるようになる。
「おのれの名誉を捨て、多くの人民を救った」大政治家、というわけである。
たぶん、これは、漢人ではなかった耶律楚材に対する反発と、清国がもともと満州人で、遼の国が遠祖にあたる点が反映されての再評価だったろう。

モンゴルは遊牧民族であるから、財産といえば羊と放牧地である。
モンゴルは、金と南宋を滅ぼしてしまうのだが、そのとき「漢人なんか支配しても良いことが何もない。すべての町をこわして牧草地にしましょう」という意見があったようだ。
そのとき、耶律楚材が反対し、町を支配して継続的に税収を上げることを提案したのである。
つまり、遊牧民族であるモンゴルには「略奪」の文化しかなかったのだが、はじめて「徴収」という手法を教えたのである。
強大な力を飼い慣らす方法としては、すぐれていたと言えるだろう。

金も高麗も、モンゴルに征服されたあと、対宋とか対日本戦の先兵として使われている。
つまり、「もし侵略を受けたら、とっとと降伏すりゃいい」という考えが、いかに馬鹿げているかを教えてくれる。降伏した国の軍隊は、次の国の侵略に使われるだけである。たくさんの被害が出るが、勝っても何も得るものはなくなる。
高麗においては、すばやくモンゴルに恭順をちかったが、対日本戦のための船団をつくるために莫大な戦費を費やし、多くの兵を死なせてしまい、国は滅んだだけだった。

おそらく、今日でも、いろいろな読み方ができる話である。

「耶律楚材」は、基本的に耶律楚材の事績を淡々と追った小説である。
それゆえ、読みやすい。この本から何を読み取るかは、すべて読者の手にゆだねられている。

評価は☆。オーソドックスな歴史小説であるが、それにとどまる作品であると思う。