Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

永久戦犯?

世の中には「ああ勘違い!」という奴がある。
私は白状するが、大学に入るまでA級戦犯を「永久戦犯」だと思って居たのである。自分の馬鹿さ加減には、我ながら呆れるばかりである(^_^;)

しかしながら、ちょいと言い訳。
歴史の不勉強で(というか、大東亜戦争まで学校の授業はまず行き着かないので)東京裁判のことに詳しくないとして(笑)テレビで「えーきゅーせんぱん」と言ってたら「永久戦犯」に思ってしまうのは仕方があるまい。彼らは、結局「死んでも許さん」と言われているからである。

ところで、ここに刑務所から刑期を務めて出所した人がいるとしよう。
その人に「おまえは、ムショあがりだからいかん」とやったら、これは差別にならぬだろうか?
なんとなく、罪を償った人は、白紙に戻すのがスジのような気がするのだ。これは、日本人の「禊ぎ」という宗教観によるものであろうと思う。

しかし、犯罪者がもし有期刑でなく死刑になった場合には、当然ながら出所することはできない。その場合、彼が死刑を執行されたとき(絶命したとき)をもって、彼の刑期が終わったと見なすほかはあるまいと思う。死んでから後も、その魂がずーっと絞首されているか否か、どうして知り得るといえようか。

さて、A級戦犯の問題については、靖国参拝を巡って肯定派否定派の双方があり、肯定派は
A級戦犯は連合国にとっての犯罪であって、日本人にとっての犯罪ではない」
と主張し、否定派は
A級戦犯は日本人のみならずアジアの周辺諸国に禍をもたらした悪人で許すべきでない」
と言うところが、その主張の代表的な要約ではなかろうか。

私が思うところでは
「仮に、A級戦犯が犯罪者であるとしても、彼らは刑を執行されたので、罪を償ったのではないか?にも関わらず許さぬ、というなら、それは死後の魂のことを論じていることになるので、そりゃ宗教の問題だろう」というものである。
死刑にされたA級戦犯は出所できぬわけだけど、死刑を免れた人は出所して後に大臣までやった人もいる。それは、罪の償いが済んだという見解があったからであろう。
しからば、死刑を宣告された場合、彼らが死刑に処せられ絶命したとき、罪の償いは済んだのか、済まないのか?

死刑に処せられた人は、既にこの世にいないのであり、もし死後の存在があると仮定すれば、それは魂ということになる。魂が、今も刑に処せられているか、または既に罪の償いが終わっているのかは、生きている人間には判断できぬというのが普通であろう。
また、法律的に言うならば、死者に対して有罪無罪を論じること自体、法的利益がないので無意味な行為なのである。
刑死した人に対して、その人が今この現在で、有罪だとか無罪だとかを論じるのは宗教であろう。すでに、この世の存在ではないことは明白であるのだから。
単純に、靖国神道なので、罪を償った=禊ぎがすんだ魂は無罪だというのが、その宗教観であろうと思われる。当然、罪を償うために死刑にしたわけで、罪の償いができぬのなら死刑にする必要すらない道理である。

ところで、中国の一般的な宗教観では、刑死した人は永久に犯罪者である。
だから、そういう人の廟をわざわざ建てて、唾を吐きかけたり罵ったりを未来永劫するのである。

靖国参拝について、少なくともA級戦犯の問題に関しては、宗教問題だと私は思っている。
日本人が、外国人に宗教のことで指図されるから、違和感を感じるのである。