Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

風邪で寝込んで。

先週末までハードワークがたたったか、いきなり日曜日の夜からダウン。
ウンウンうなりつつ、なんとか本日、ようやく出社である。まだ鼻風邪状態だけど、あまり寝てばかりいると、更に重大な疾患になるような気がするのはおかしなものだ。
私は真冬だって泣く子も黙る自転車ツーキニストであるから、滅多に風邪などひかないのだが、たぶん過労もあったのだろう。

一人で寝ていると、くだらないことばかり考える。
よく言うが、一人暮らしで、風邪で寝込んでいると心細い、、、などということはない。私の場合、年季が違うから、もはやそのような「一人暮らし初心者」のような感慨はないんである。
まあ、このままもし死んだら、自分は生ゴミとなるので、近所が迷惑だろうな、とは思うけど。

なんとなくだが、風邪みたいな、大して深刻でない病気は「神様の休めの合図」じゃないか、と思う。毎日、ひーこら言って働いているわけだけど、それだけじゃ人生イカンのではあるまいか?
たまにはゆっくり考えろよ、みたいな気がした。

それで思ったのだが、仕事は一般に「生産」的行為であるとされるわけだ。そして、生産手段を所有することによって人民を支配するのが資本であるとマルクスは言った(とても荒っぽいけど)
しかし、現実に米国産牛肉が入ってきて、みんながこれを買わなかったらどうなるか?
アメリカは文句を言うだろうが、買いたくないものを買わせる方法は政府といえどもないんである。国民は、「消費」によってより直接的に意見を表明できることになる。

最近なんとなく流行の「LOHAS」だって、ありゃ生産じゃなく、主に消費のスタイルだろう。
あらゆるものを「消費」するのが現代社会で、このことに対する批判は多いが、その批判が「生産こそ尊いもの」という価値観によって支えられているとすれば、それこそマルクス主義も資本主義も同じ穴の狢ということになる。
特にインターネットが出現して以降、消費行動が消費者主体で行われる傾向がますます強い。いまや消費者は、さまざまな情報を手に入れて、自由に価格比較をして、もっとも自分に適したものをもっとも安価なところで買う。商品を提供する側は、この流れに逆らうことは不可能だ。これは、正木鞆彦さんがおっしゃる「消費の民主主義」かつては生産=消費のなかで常に生産優位だったが、いまや消費が優位という、人類史上始まって以来の事態が先進諸国に到来しているのではなかろうか、と。

などと、くだらんことを考えているうちに、あっという間に時間は過ぎてしまう。
やれやれ。
小人閑居して不善をなす。

復帰したとたん、書類の山である。くだらんことを考えていたツケは大きいな、こりゃ(^^;)