Single40'S diary

「40過ぎて独身で」の作者が、あっというまに50代を迎えたブログ

労働力をモノ扱いしてはならない

今、デンマークの新聞に掲載されたムハンマドの風刺画を巡って、イスラム教徒の抗議暴動がエスカレートし、大変な騒ぎになっている。

デンマークの新聞がこの風刺画を掲載した背景には、かの国では「自主規制」という名の「検閲」がすさまじく、これに対して「言論の自由」を主張しようという目的があったとされる。その社会背景にはイスラム系「移民問題」がある。
日本だって、特に隣国からの「移民」に対してうっかりしたことは書けない(ヨイショ記事は別にして)は、衆知の事実であろう。似たような状況があるのかと思う。

さて、このデンマークの新聞に対して「言論の自由には、義務が伴う」などとしたり顔の指摘をするつもりはない。そういうのを「結果論」と言う。三振したバッターに対して「ここはバントすべきでしたね」などと言って済むんであれば、私だってスグ野球解説者が務まる道理である。もちろん、私にはスポーツセンスなんぞ全然ないのだなあ(笑)

こういうのは、率直に難しいと思う。
キリスト教国で、キリストを風刺画に描くのはしばしば行われる。市民は教会権力と戦って自由を勝ち取った経緯があるので、自由は宗教とは別に存在している。
しかし、イスラムにおいては、イスラム法を守らねば人のうちに入らない。言論の自由は、しょせん人間に認められる権利であるから、アラーだのマホメットだのを描く輩には言論の自由がある道理がないのだ。イスラムは、ある意味では民衆保護の機能を果たしたから、宗教と自由の対立が深刻になかったのである。
この風刺画を描いた作者は、イスラム法では殺害対象になる。いつぞやのマホメットを風刺した「悪魔の詩」の作者や翻訳者と同じで、人のうちに入らないことになる。

これでは、議論が噛み合うわけがない。

異なる民族が同居することは、たいへん難しい。特に一神教の世界では、それ以外の価値観をもつこと自体が異端(=ひとでなし)であるから、なかなか妥協の余地がない。

正義は、人の数だけある。単に憲法を拝んでいれば、すべて解決するわけではない。現実は、もう少し複雑にできているようだ。

少子化問題で、ことに介護や医療で「労働力不足」だから移民を受け入れせざるを得ないという議論があるようだ。
ちょっと待ったほうが良い。その移民が将来もうまくやっていけるのか、そこまで考えているのだろうか?

かつて英国では、同じ理由で大量に移民を受け入れた。彼らの仕事は医療・介護の中でも低賃金労働が主であった。
やがて、彼ら自身も歳をとる。
今度は、今まで低賃金で働いてきた移民(その時点では国民になっている)の介護・年金問題が発生した。結論からいえば、移民は問題を先送りにして、より難しい状況の人々を増やしただけであった。サッチャリズムの影の部分である。同じ事は、ドイツでもフランスでも起きた。

外国人労働者に反対といえば、狭量な保守主義者と批判されるのだろう。
しかし、移民は「労働力」という数字ではない。人は、モノではない。人は、その人なりの思想や宗教をもって生きるのだし、やがて歳もとるものだ。
そこまで考えなければ、未来に影響を残す事項の決定はできぬと知るべきである。
果たして、外国人労働者を受け入れて、彼ら自身が未来において幸福に暮らしていけると考えても良いだろうか?
無責任な「人権」思想は、おのれのイデオロギーのために、多くの他人の人生を不幸にするかもしれない。畢竟「利益のために」人をモノと考える思想と同じである。ただ、カッコ内が「思想のために」と変わったにすぎないのじゃないか?

どうも最近、自由も正義も平等も、私は「保留」をつけるようになった。むしろ、安易にそう語るものに、うさんくささを感じはじめているのである。。。