もちろん、義理だって文句を言える筋合いではないわけで。
もしも「義理」がなかったら、毎年の寂寥感はかなりなものなんだろうと思うなあ。本音の話。
どうせチョコ屋の陰謀、商業主義におどらされてはいかん、などと言うつもりはない。
なぜかというと、それを私が言っても「負け犬の遠吠え」だからである。
「勝ち組負け組」ああ、ホントにイヤな世の中になったねえ。
考えてみれば、「義理」といいつつ、この風習には、「負け組」に対するひとつの日本的「思いやり」の表現なのかもしれないなぁ。。。下手に「勝ち負け」を峻別するよりは、弱者に優しいのかもしれん。まんざら、馬鹿にした文化でもないぞ。
といいつつ、義理チョコを有り難く頂く。
ホワイトデー、もちろんお返ししますとも。この日を救われたことを思えば、なんてことありません。
たいへん感謝しております、はい。