Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

新しいものはなんで短命か?

最近、あるCD(すでに廃盤)を聞きたいという人がいて、MDに録音して提供してあげよう、ということになった。
私はヤマハのMDデッキを持っているけれど、実は調子が悪い。MDのディスクを放り込んでも、いつまでもガチャガチャやっていて、なかなか読みこんでくれないことがある。
この際なので、新しくて手頃なものを買い求めるのも良いと思って、久しぶりに秋葉原に行って驚いた。

今頃は、もうMDデッキなんて、ほとんどないのだよ。今流行っているのは携帯メモリプレーヤーで、MDなぞすでに「絶滅危惧種」なんである。

そこで気がついたのだが。
「レコード」「カセット」「CD」「MD」と並べていくと、新しいものほど、メディアとしての寿命が短いように思われるのだ。

レコードは戦前からあるが、ステレオ登場を考えると1960年前後。私の記憶では、1995年(ウィンドウズ95登場の年)までは新譜が手に入ったから、だいたい35年もった。もちろん、今でも細々と続いているわけだが。
カセットは1970年代の半ばから2000年くらいまでは主役で頑張ったと思うので、これは25年。
CDは1985年登場だと思うが、初期はLPレコードの牙城を崩せず、だいたい1990年から頑張って、2005年までと見て15年。MDは1995年から同じく2005年までで10年。2005年移行がハードディスクとか個体メモリのプレーヤーと見る。

なんで、新しいメディアほど、短命になるのであろうか?
もちろん、新しい製品は技術革新が急であるけど、メディアという「フォーマット」自体の変更となると、これはもう「文化」の問題だろうと思う。

実際に、現在、昔のLPレコードを聴いて、CDに比べて音質で著しく劣るとも思えない(注意深く再生すれば)むしろ、レコードのほうが曲趣を深く感じられるケースも多いくらいだ。

内田樹氏の著書によれば「弁証法の影響で、マルクス主義とそうでないとに関わらず、歴史は必ず『良い方向』に発展するという我々の盲信」を「歴史主義」というそうである。新しく登場したものが、必ず古いものより優れているはずだ、あるいは、生き残ったもののほうが優れているはずだ(歴史ダーウィニズム)古代国家よりも近代国家のほうが「必ず」優れているはずだ、という「信仰」である。

メディアが切り替わった場合、多くの過去の遺産は文字通り「遺産」となる。つまり、生活の道具であることを辞めて、単なる記憶の装置となるのである。

我々の生活から「道具」が減ることを、我々は「革命」とよび、古いものを捨て、新しいものを手に入れるのに浮き身をやつす。そうして、豊かになったといって喜ぶ。

本当にそうだろうか?

最近、大変に疑念を持っているのである。