Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

あの戦争になぜ負けたのか

「あの戦争になぜ負けたのか」半藤一利、保坂正康、中西輝政戸高一成福田和也加藤陽子

なかなか興味深く読める対談集である。

戦争というものを反省するなら「なぜ負けたのか」が世界標準だろうと思う。「なぜ戦争を起こしたのか」が大変大きなテーマであることは否定しないけれど(当然だ)しかしながら、「なぜ負けたのか」が問題になるのも当然のはずである。
単に「物量」に破れた、という見方は流布していると思うが(そして、それなりに真実をついていると認めるが)ならば、「そんなこともわからんで、開戦したんですか?」となるはず。
本書は、その理解をするのに役立つ。

6人の論客の中で、特に若手の俊秀二人、福田和也加藤陽子の発言は注目に値する。二人の発言は「陸軍が馬鹿だった」「松岡が孤立した」「近衛が腰抜けだった」「天皇が停めなかった」などという酒場政談のレベルから完全に抜けている。
福田和也は、実は日本が「独自外交」を行おうと志向したことに端を発して「親英米派」「反英米派」の中で日本の勢力が二分した点を指摘する。(親ナチスもいたが、それは本流ではなかった)この「外交姿勢の揺れ」そのものをつかれたという視点である。
たとえば、支那事変に目を向けてもよい。日本ではシェンノートのフライングタイガースばかり有名だが、国民党軍の軍事顧問にはドイツ人が続々派遣されており、南京事件で有名なラーベは独シーメンス社の中国支社長で国民党に兵器を売るのが仕事である。加藤陽子の指摘であるが、当時の中国軍は近代化されており、すでに大東亜戦争開戦前に日本側は5万人も死者を出している。正直こっちもボロボロ、勝ちきる見込みはなく、その上米国と戦端を開くのは正気の沙汰ではない。
そこにABCD包囲網で、日本はインドシナ半島から石油を入手しようとするのだが、そのインドシナは当時オランダの植民地であって、かつ、既にナチスに降伏していた。どう転んでもナチスが交渉で出てくるようになっており、米国はそれを読んでABCD包囲網を仕掛けた形跡がある。
見事な戦略であり、日本側の「米国を、アジアと欧州の二正面作戦で疲弊させ、講和に持ち込む」というストーリー自体がうまくドイツに吹きこまれた(もしくは、ソ連にのせられた)もので、なんのことはない、中国と太平洋で二正面作戦を実行したのは日本であった。

最近、小沢一郎が外交で「日米中トライアングル論」を提唱している。
まことに危ういことである。
また同じ轍を踏むのか?と私は言いたいのである。
この3国を比較した場合、簡単に答が出るのである。
「日米対中」であれば、ま、そんなに簡単には負けない。
しかし「日対中米」であれば、必敗間違いなしである。
「日中対米」であれば、多少はもつだろうが、やはり勝利はのぞめまい。

もし3国が勝手にそれぞれの国益を考えたとすると、米中は組んで日本を叩けば必勝、その他の組み合わせはお互いしんどい。本音を言えば、避けたいはずなのだ。
「独自外交」をするならば、「絶対に米中を組ませない」ことが前提である。そんな外交ができるのか。
ハッキリ言うが、外交において、日本はアングロサクソンにも中国4千年の合従連衡術にも勝てまい。
無用の危険を招く政策ではないか。
政権欲しさに、我が国の安全を脅かすものだと考える。

あの戦争は、開戦時に既にして必敗であった。そうなった原因は、別に勢いに呑まれたからでも、大東亜共栄圏でも(申し訳ないが)ないと思う。
外交において、あまりにナイーブだった、のだと思う。