Single40'S diary

「40過ぎて独身で」の作者が、あっというまに50代を迎えたブログ

格差社会というのなら。

格差社会」なる言葉が流行中である。小泉改革の5年の間に、貧富の差が大きく開いてしまったという批判的な論調でよく使われる言葉である。

私は、この議論の尻馬に乗って言うのである。つまり、格差を言うのなら、なぜ金銭ばかりを人は問題にするのであろうか?
「もてる、もてない」「結婚できる、できない」のほうが、遙かに大きな格差であるぞ。

そもそも、恋愛と申すのは「自由競争の原理」であろう。ある人を好きになるのに、みんなが好きになると競争が起きるので、みんな仲良くといった話は聞いたことがない(笑)。

昔は、結婚においても「見合い結婚」が主流であったようだ。親戚だの世話好きのおばさんだの会社の上司だの、まあ今で言う「外野」がよってたかって、適当な人物をめあわせたものらしい。で、なんとなく、多くの日本国民が結婚できていたわけであるよ。

しかるに、戦後「自由主義」が入ってきて、結婚も「お見合い」は封建的であるからいけない、「幸福な結婚」は「自由恋愛」から生じなければならない、新憲法は「両性の合意にのみ」なのだ、親だの親戚だのが合意するのはいかん、という批判がなされた。
かくして「恋愛資本主義」の隆盛を迎えることになったのではないかね?

今日、多くの「結婚できない」男女が生じたのは、ほかならぬ。自由主義競争の結果「格差社会」が出現したからである。「負け組」なる言葉は、その真実を言い当てたものである。勝ち負けは「恋愛市場」において「自由競争」に敗北したと言っているのではないかね?

40過ぎの独身男としてもの申す。
格差社会と批判するなら、金銭よりも、恋愛におけるそれのほうが、その格差は大きいぞ。生まれつき眉目秀麗、頭脳明晰な奴もいれば、言いたくはないが、その正反対もいるのである。その「差」を、いかんともしがたいではないか。
「努力すればできる」?などと「戯言」をぬかすのなら、その同じ論理を、なぜ金銭に適用しないのかね?
いいかな、そういうことに考えが及ばぬのは、しょせんそいつらが「恵まれた奴ら」だからである。
そのくせ、偉そうに批判をするのだ。

私は、私怨をこめて、はっきり申す。
「恋愛」における「自由競争」は黙認するくせに、金銭の問題だけを取り上げる「批判勢力」なんて、私はこれっぽちも信じません。