Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

寝ながら学べる構造主義

「寝ながら学べる構造主義内田樹

私は「○○入門」というやつが大好きである。「1日でわかる××」「サルでもわかる▲▲」の類の本ばかり読んできた。
現代というのは幸福で不幸な時代で、何かを考えても、だいたい先人がそんなのとっくに考慮済みなのである。であれば、その先人のお知恵を、阿呆な私にもわかる範囲で拝借したほうが良いというものだ。
例えば数学で、今から私が一生をかけて、3次方程式の一般解法を追求したところで、そんなのとっくに考慮済みであるから、高校数学の教科書を買ってきて勉強した方が早い。その場合に、誰もわざわざ「カルダノが書いた原典を読まねば理解したことにならない」とは言わないはずである。「チャート式」(人によっては解テク)で充分であろう。
なんで自然科学で当たり前のような「勉強法」が、人文科学だとダメなのか?という根本的な説明を見たことがない。数学者ファインマンが指摘するのもむべなるかな。

まあ、それはおいといて。(笑)

構造主義というやつ、私の大学時代では「おそろしげなムズカシイ話」の代名詞、という感じがあって、もしも本書のタイトルが「寝ながら」でなかったら、手に取ることはなかった。「寝ながら」だと、わからないときはそのまま眠れるから便利だろうと考えたのである(笑)。で、結果だけど、眠るどころか面白い本であった。なるほど、こんなふうにうまく説明してしまうのだねえ。すごい。もっとも、私は「わかったつもり」になっているだけなのだろうと思うのだけど。

現代の我々が考える中立的な立場というのは「そういう考え方もあるよね~」といった「価値相対主義」に陥りがちだ。なんでそうなのか?つまり、現代は「構造主義」の時代だから、というのが、その回答になる。我々は、ある物事がそれをとらえる「人の立場によって、異なるものである」ことを自明の理として受け入れているが、これは今までの人類思想史から考えると希有なことであるようだ。
過去の思想は「○○だから正しい」という主張の連続であった。

構造主義四銃士の中では、レヴィ=ストロースの章が個人的には一番面白かった。サルトルとの論争で、なぜ実存主義が一撃で終わってしまったのか、実に明快に説明してある。
早い話が「歴史は発展するもの=現時点の私が歴史の中では(今の時点の)総決算」という見解は、「タダの西洋文明の都合であって、人類共通にそうじゃないもん。あんたのそれは思いこみの一種じゃん」とレヴィ=ストロースは言ったわけであって、サルトルが「なに!お前は、やっぱり西欧ブルジョアの一味だってことを歴史が証明するぞ」と言い返した。で、ストロースに「ほら、やっぱり思いこんでるじゃん」と言われてちょん。
ある公理系が成り立つことを証明するには、その公理系の内部からでは証明できないのは常識である。
サルトルは、あっさりと論理破綻を暴露してしまったのだな。

以前に西欧クラシック音楽における「ソナタ形式」が「弁証法」の産物である、という許光俊(音楽評論家)の見解にいたく感心した覚えがある。なぜって、世界の民族音楽で「ソナタ形式」(A-B-A’-B’-C)のような形式をとるのはヨーロッパだけで、そういう意味では「クラシック」ではなくて「西欧地方音楽」ではないか?という疑念を見事に説明してくれたからだ。
これを考えていくと、実は「弁証法」という「思考様式」そのものに関して「普遍性」を疑う立場に行き着かざるを得ない。欧州という「地方」で発達した、一つの思考の「クセ」に過ぎないのじゃないか?という疑念である。
文化人類学者達の仕事は、この疑念を裏付けるものであるが、その立場を哲学的に表明したのがレヴィ=ストロースだったのだな、と思った。

評価は☆☆。
純粋に面白い本である。私のような「ものぐさ」にはとても有り難い。本書を読む間は、愉しい時間だった。

もっとも、それで「構造主義」に興味を持ったか?といえば、それは別だろうなぁ。あまり愉しい学問でもなさそうだぞ、などと思ったのであった。平凡人だから、まあ、そんなものだね。