ストレスからちょっとメンタルに変調を来して、しばらく楽をさせてもらっていた。それで、ブログなどにも手を染めることになったのである。
しかし、どうも本体の一部の事業が思わしくないようで、なんとかしてくれと言われて、やむなく立て直しをすることになった。
朝、会社に行くと、あちこちから山のようにメールが入っている。それもすべて、私の判断を求めるものばかり。
これ、どうしましょう?
あれ、困っています!
それ、手がつけられません!!
あれ、困っています!
それ、手がつけられません!!
「なんで、こんなことに」と嘆きつつ、とにかく考える。このケースは、それならこのケースは、ああ、しまった、そうするとこっちが問題か。。。
その返答を書く間も、後ろに人が待っている。時間はないよ、後で!わかってる、だけど、今はダメだ。
午前も、午後も、会議に続々。「なんで、決めないんだ!」と叫ぶ。「アウトプットを出せ!目標がなくて、計画があるはずないじゃないか」と言わねばならない。
その間、資料を見る。「なんでこんな愚かな決定を?」「社長がそうしろと、、、」「豆腐の角にアタマぶつけたのか?と聞いとけ!知的怠慢だ」言葉も乱暴になる。「わかりやすくいえば、馬鹿、だ」
自分の中で、また壊れていくかもしれない、と思う。それならそれで、壊れればよい、と思う。もう知らない、私の能力じゃ一杯なんだ、だけど、みんな待たない。待てない。
夜、寝る前にパキシルを飲んでいる。なんとかもっている、と思う。連用の障害は、記憶力の低下だそうだ。確かに、それは感じる。記憶力には自信があったが、もうダメになった。ま、年齢相応かもしれないね。
そんな状況でも、ブログをのぞく。ネットに通う言葉の愉しさよ!嬉しい。考えが異なるケースはあっても、この人々を私は信じているので。「信用できる」人たちがいれば、意見の違いなど些細なことだと教えられた。
だけど、現実は待ってくれないのだなあ。
あしたも。その次も。
みんな待てない。待ってくれない。
あしたも。その次も。
みんな待てない。待ってくれない。
誰にも待たれなくなっても、それはそれで良い。待つ人のない人生だって、まんざら悪くないと思うのだけど。