Single40'S diary

「40過ぎて独身で」の作者が、あっというまに50代を迎えたブログ

結婚できないのは贅沢

先日、テレビを見ていたら「30代で結婚できない女性」が取り上げられていた。皆さん、なかなか美人だし、仕事もちゃんとこなしておられる。なんで相手がいないのか、不思議なくらいである。

理由はいろいろあるようだ。しかし、共通しているのは
「結婚したいけど、そういう相手に巡り会わない」ということであった。収入だとか地位、考え方などで、なかなか合わぬということらしい。
どうも理想が高いのではないかな、もっと妥協すればいくらでも相手はいるだろうに、と思っていたら、あるコメンテーターが非常に鋭いことを言った。
「何が結婚できないだと。東北の田舎に行ってみろ。みんな農家は嫁不足だ。引く手あまたに決まっている。都会で結婚できないなんて贅沢なんだ」
これは正論である。

結局、みんな「今の自分の生活を変えたくない」のだなあ。
自分がバリバリ働いている、それなりに買い物も出来るし、都会で流行を楽しんでいる。だから、相手は、そういう生活を共有できる相手じゃないとイヤだ、「年収は1千万円以上」「友人にもそれなりに紹介できる人で」なんていう話になる。都会に住んでいるのは、いわずもがな。
この条件を満たす人物になれば、それは狭き門になるのは致し方あるまいよ。
「結婚できないのは贅沢だから」説、けっこう真実をついているのじゃないかな?

年齢も関係あるなぁ。仮に、上記の条件を受け入れるとしても、若いうちは「先行投資」だから、将来そうなる可能性はあるわけだ。もちろん、ハズレの可能性もあるけれど。しかし、女性が30代になれば、お相手の年齢もそれなりになる。先物じゃなくて現物に近づいているはずで、「夢」が少なくなったぶん、評価が厳しくなるわけである。言ってみれば、新興市場と一部上場の違いであるよなあ。

で、思ったのである。私も「結婚できない男」と言っているわけだが、やっぱり同じなのかな?と。
むむむ、、、ただの「贅沢」だったのか??知らぬ間に、そういう仕儀になっていたとは。。。
いや、待てよ?

江戸は、極度の男過剰社会であって、常に女性は不足していた。それで、公儀公認の吉原が出来ていたのである。地方から出稼ぎに来るのは、やっぱり男だから。
してみると、今の東京も、そう大きく構造は変わるまい。逆に考えると、地方に女性は余っているはずである!大発見だと一瞬胸がときめいたが、よくよく自分の故郷などを考えてみても、とっくに同級生の女性陣は結婚している。地方は結婚年齢が早い。つまり、今さら気づいたところで、私にはなすすべがないのである。

しかし、なんで男が都会に行くというのに、地方では結婚が成立してしまうのであるか?女性がもっと余っても良かろうになぁ。思えば、不思議なことである。

といいつつ、やはり、いつもの結論に到達してしまうのであった。
「東京は男が多い→競争が多い→女性の見る目が肥える→男は淘汰される→一定確率で「余り」出現。早い話が負け組→それは自分」
くっそー。

どんな屁理屈こねようが、ほ乳類としての生存競争に負けている事実はぬぐえない。残念無念なことである。