Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

謙信の馬上杯

最近、多忙の故(無能の故、といっても同じである)なかなかブログを書くヒマがない。
ハナから義務とは思っていないので、どうでもいいのだけど、それでも見に来てくださる方々には申し訳のないことである。

さて、こりずに「上杉話」であるが。

上杉謙信という人は「生涯不犯」で知られる。早い話が、独身であった。私の場合は「結婚できない男」であるが、謙信は「結婚しない男」であって、結果が同じでも原因が天と地ほど違う(笑)。ほらね、「結果主義」なんて、この程度の代物なんですよ。あほらしい。

謙信の独身だった理由としては「同性愛説」「女性説」なんて奇想天外なものまである。けど、まあ珍説奇説の類と思ってよい。
戦国の当時は「衆道」つまり男色は珍しくないので、隠す必要もなく、男色だろうと結婚とは関係ないのである。だいたい、政略結婚当たり前の時代で、結婚に必ずしも愛情なんて必要ないので、男色家なので結婚しないというのは後世の「恋愛至上主義者」の戯れ言にすぎないわけである。
また「女性説」は、謙信が小柄で赤い着物を好んだあたりから出てきた話のようだが、これも「万葉集朝鮮語で読める」と同類の妄想であろう。当時の男性が小柄であるのは当たり前だし、赤い着物=派手好みか女性という概念自体、後世のものじゃないかな。赤い服を着たら女性にされるのでは、武田の赤備えは実は「全員女性だった」という珍説を主張しなくては論理のつじつまが合わないのだが、そこまで勇気ある御仁はいない様子である(苦笑)。

ま、そういうわけで、理由は色々忖度されるわけだけど、とにかく謙信は独身だった。そうすると、必然的に酒を好むわけである(笑)権力があって、独身で、しかも越後。そりゃ飲みたい放題だ。

その謙信の遺品に「馬上杯」というのがある。馬に乗りながら酒を飲むための杯である。けっこう大ぶりだ。謙信は「飲酒運転」の常習犯だったのだなぁ。

当時の酒はどぶろくが主流のはずである。いわゆる清酒「すみざけ」もあるにはあったが、すみざけの製法が確立して流行するのは江戸時代になってからだ。謙信が「つまみをとらず」「梅干しをアテにして」「杯を重ねた」のも、そうすると事情がわかる。
当時の木桶では、今のような高アルコール度の酒がつくれないから、度数が低いどぶろくになっているだろう。半分コメみたいなもので、つまみを食わなくても結構飲めたに相違ない。梅干しが合うのも、コメが濃くて度数が低い甘口酒だったことを考えれば、そりゃ納得というものだ。
その酒をあおりながら、体を温めて、何度も関東に出兵したわけである。

独身男が、こころの憂さをはらす相手は、やっぱり酒しかないんだよな。。。などと、余計なところで納得する訳である。
私が「謙信贔屓」なのは、こんなつまらない理由からであるのだが、謙信の迷惑顔が目に浮かぶようでもあるなぁ。