Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

鏡は見えないもの

ネットで、大変興味深い記事を見つけた。


詳しくは原文を読んでいただきたいが、つまりは
「アフガン戦争もイラク戦争も、アメリカによる勝手な戦争であって、大義がない。」というよくある類の記事である。

私が注目したのは、記事末尾に近い以下の部分である。

アメリカは9・11で3000名近い死者を出した。では、アフガンやイラクでどれくらいの死者が出たのだろうか。実はどこにも公表していないのだ。推測値としていろいろな機関から出ているものはあるが、かなりの幅がある。それでも信頼できるものの中から平均値をだせば、アフガンでは2万人前後、イラクでは7万人前後が亡くなっており、その6割前後は民間人と推測されている。

あの曖昧な攻撃理由のどこに、これだけの死亡者数を肯定できるものがあるのか。いや、いかなる理由があったとしても是認はできないはずである。しかし、日本はアメリカの攻撃を支持した。ここで総括をしないで議論を進めることは、この死亡者数をも容認することになるのではないか。 」(原文ママ

さて、これを以下のように書き換えてみる。

アメリカは真珠湾でで2400名近い死者を出した。では、太平洋戦争でどれくらいの死者が出たのだろうか。実はちゃんと公表されている。推測値ではなく、歴史的に確定した数字である。その数は米国兵30万人であり、日本の戦死者は310万人である。

あの曖昧な攻撃理由のどこに、これだけの死亡者数を肯定できるものがあるのか。いや、いかなる理由があったとしても是認はできないはずである。しかし、戦後日本はアメリカの攻撃を支持した。ここで総括をしないで議論を進めることは、この死亡者数をも容認することになるのではないか。 」

さて、どうだろう?(笑)

そもそも、アフガン、イラクを批判するなら、まずそのロジックを戦後日本に向けてみるのも当たり前な思考だと思うが(自国なのだから)思いついた気配もない。すっぽりと脱落している。あえて「なぜ」といえば、それは「日本は侵略だったから」と答えることになるのだろうね。以上オワリ、というわけだ。

それなら、イラクもアフガンも「侵略だった」ことにすればいいのじゃないかな。
ついでに言えば、大東亜戦争当時「植民地をもつこと」が罪であるという国際法は成立していなかった。あとから、そういうことにしたわけだ(事後法)。同じように、あとから「○○に対する罪」をつくって、裁判をやればいいのだ。そうすればその国民は、日本人と同じように「他国の話はいくらでもするが、自国のことはサッパリと忘れて、思いつきもしない」民族になってくれるだろうよ。

ひとさまに指さす前に、たまには鏡を見てみるのもいいんじゃないの、と思ったりするんだけど。