Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ペダリスト宣言!40歳からの自転車快楽主義

「ペダリスト宣言!40歳からの自転車快楽主義」斉藤純。

著者は、以前に紹介した「戦前に、全日本ロードレースが開催された」という仮想小説「銀輪の覇者」の著者でもある。
なにより、タイトルがそのままなので(笑)さっそく読了。

この「ペダリスト」というのは著者の造語であるが、つまり「自転車に乗りながら、環境問題や交通問題、マナー、地方再生などを考えよう」という趣旨のようである。
自転車乗りには「サイクリスト」という言葉があるのだが、これは1日100KM以上、猛者は200KM以上を連日走破するような連中のことで、どうも黙々と自転車一筋という印象がある。それと著者は違うので、この言葉ははまらない。

このようなスタンスの言葉であると、疋田智氏が提唱した「ツーキニスト」が有名である。事実、著者も「ツーキニスト」には親近感を感じているようだ。ただ、何も自転車通勤に限る必要もないし、もうちょと広く考えようじゃないか、という趣旨らしい。

私見であるが、この「ペダリスト」と「ツーキニスト」の違いは、たぶん「地方」と「都市」の違いである。

私は何度も経験があるが、地方のほうが自転車にとってつらい環境だと思う。これは意外かもしれない。「え、だって、自動車が多くてスモッグだらけで」と思うだろう。
しかし、今や東京の空気は、それほどひどくない。石原都政ディーゼル規制の賜物である。そして、東京の運転者のほうが、まだしもマナーが良いのだ。
地方にいくと、自転車に対して、あからさまな幅寄せ、クラクションなどが増える。今や、どんな田舎でも舗装道路があり、そこを自動車が走る。地方にいけば行くほど、近所のタバコ屋にすら自動車で行く。東京の人は、駅を使うからまだ歩く。
誰もが自動車を使う地方で、自転車はそれ自体が「異端」である。そして、目に見えないヒエラルキーの下層民である。
これはアジアの特色なのだが、台北にしろソウルにしろ、自転車で走るのは自殺行為なのだ。それは、貧乏人でありオチこぼれの象徴だと見なされる。
このあたりは、欧州とはまるで違うのだ。

だから、ツーキニストは基本的に「都市を自転車で通勤する」コンセプトの奥には「東京を欧州的な多様な価値観の認める街にしたい」という一種の願いがある。いってみれば、ポストモダニズム的な発想がそこにある。
地方から自転車を考えるとき、同じスタンスは取りにくい。

いみじくも、著者は「自転車一筋のような、固定化された観念を持たず」という「クルマもバイクも認める」スタンスを提唱するにもかかわらず、後半になると「小泉-安倍改革路線によって拡大した地方格差」をなげき、「自転車道を地方につくれ」という公共工事誘導な主張をせざるを得なくなる。
それが、ペダリストなる存在の限界、ひとつの地平なのである。

評価は☆。

かつて、日本の地方が、まだまだ風光明媚で、未舗装路もたくさん残っていた時代。そういう風景を求めて、自転車乗りは太いタイヤのランドナーに乗って旅をした。今や、全国至る所に舗装路があり、どこにもビジネスホテルがある。腹が減れば24時間営業の店もある。
ランドナーはいなくなり、ロードレーサーで軽装で旅が出来る。幸福になった、便利になったのである。
ただ、失ったものもまた多い。
だからといって、わざわざ道のない里山にマウンテンバイクで乗り入れ、木々の根を傷めるようなことはやっぱり支持できない。
今ある道路をありがたく走り、ありがたくコンビニを利用し、しかし残った自然を丹念に楽しむ。多少の不便は我慢して、便利さは享受するが、それ以上は求めない。
ただ時代の栄枯盛衰を体で体験する。(自分の体も栄枯盛衰だ)

ただのそんな自転車乗りで十分なような気がする。東京だって、ぜんぜん捨てたものではない。気を遣って走ってくださる多くの東京の自動車ドライバーの皆さんに、心から感謝したい。