Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

国家はいらない

「国家はいらない」蔵研也。

前に読んだ「リバタリアン宣言」の著者によるリバタリアニズム入門の本。
しかし、このタイトルは編集者がつけたものでしょう。リバタリアニズムは、当然にアナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)を主張すると思われています。
だけど、そもそもリバタリアニズムが「一つの真理」を「歴史の発展の必然」として語っちゃおかしいのです。文字通り「語るにおちた」ことでしかありません。
アナルコ・キャピタリズムを「許容する」ところが、リバタリアニズムの地平なんです。つまり、「人間の自由はどこまで可能か」について、「極限まで」とあっさり答えてしまったのがリバタリアニズムということです。
つまり、正しくは「政府はいらない」です。

たとえば、国に対して、一方で「君が代、日の丸反対」という論争があります。「それよりも、福祉とか教育とか、他のことをしろ」ということです。
リバタリアンは、逆の主張をします。「国は、国歌と国旗だけあればいいんじゃないの?」他のことは、いらない。つまり、国歌とか国旗は「個人の趣味の問題」で、いわば「同好会」として認めます。しかし、政府はいらない。リバタリアンは、国や地方政府を「働きもしないでカネを巻き上げる強盗」だと考えていますから。

日本では、一般に「市場原理主義」は、あまり評判が良くありません。それは、格差社会を生み出す、一部の富者のための社会、弱者切り捨てを肯定する思想だから、ですね。
リバタリアニズムは、市場原理主義のことだと思って、今は間違いありません。
では、リバタリアンは、このような主張を肯定するか?「とんでもない」が、リバタリアンの主張です。

で、「何故か」というに、リバタリアンはこう答えます。「権力は、いつも公益のために、と主張する。そして、実際には、権力が国民を搾取する。そのために、国民は苦しむ。政府は存在することが悪である。もっとも大事なものは、個人の自由である」。

たとえば、軍事力に関する左派の批判として「軍事力が守るのは、権力だけじゃないか。国民を軍事力は守らない」というものがあります。
同じ主張を、リバタリアンはします。「政府は公益を守るといいつつ、実は自分が肥え太るだけじゃないか。政府は公益を守らない」どうでしょうか。

そのような例が、本書には列挙されます。
たとえば、日本の税金の不公平さ。日本の税制は「累進」ではないのです。そういうと、一般的には「金持ち優遇だ」という批判を思い浮かべます。しかし、実際には、第10分類(年収1200万円以上)の税負担は、それ以下の層に対して高いのです。
そこそこ収入がある人は、たとえば奥さんが専業主婦になれるので、配偶者控除を受けます。夫婦共働きで同じ収入を稼いでも、税は安くなりません。
今話題のガソリン以外にも、電気やガス、水道にも間接的に税が投入されています。消費税はよく知られているように、逆累進制を持ちます。
公共料金で考えると、NHKの料金は、収入が少ない家庭でも同じ料金が取られます。
都内で3億円する渋谷の一軒屋に住んでいても、200平米以下ならば、税控除が受けられます。本来は年間400万円弱に及ぶはずの固定資産税が、50数万円で済みます。その人が「これでは暮らしていけない」と訴えるのです。3億円の一軒家に住む弱者ができあがります。
その結果、都心の住宅地価はいつまでたっても下がりません。相続税も、同じく200平米以下で軽減されてしまいますからね。

退職金は2200万円以下は無税ですし、それを超えた部分はふつうの収入の半額以下とみなすことになっています。国はそれを「老後に備えた国民のための税制だ」と言います。
しかしながら、実際にそれで恩恵を受けるのは「高額の退職金をもらえる人」です。中小企業で、そんな退職金をどこが払えますか?得をしているのは「大企業のサラリーマン」と、何よりもたっぷり退職金を、しかも何度ももらえる人たちですな(笑)その方々が、なんと税制を決めています。

評価は☆☆。
リバタリアニズムは、現代の屁理屈ナンバーワンだと私はかねてから主張しているのです。ただ、リバタリアニズムの奥底にある思想の深みは、この本では分かりません。

リバタリアニズムは、基本的に「政治に対して理想を持ち込む」ことを批判した思想だということができます。実現できないことを「こうすべきだ」と述べ立てて、我々から税金を取り立てる。その意味では、右も左もありません。同じです。人は平等であるべきだ、と主張する革命家は、職業選択の自由がない社会で、自分がトイレ掃除担当になるとは思っていません。それどころか、あさましいことに、自分が「国家の指導者」になると考えています。彼もしくは彼女が実際に革命に成功すると、当然のように国民が稼いだカネを取り立てます。取り立てるときの口上が変わるだけです。
じゃあ、弱者保護はどうすべきでしょうか?簡単であって、本当にあなたが弱者保護をしたいなら、そうすればいいじゃないか、とリバタリアニズムは言います。その「自由」を、邪魔しません。
もちろん税金も取らないで返します。だから、どうぞあなたが好きなだけ「弱者保護」をなすったらどうですか。

リバタリアニズムは、そういう意味で、実は深い絶望と悲しみ、そして、そのようでしかない人間に対する赦しがあります。

このような思想に基づく社会が出来るのは、きっと遠い未来だろうと思いますね。
でも、きっと、いつか疲れた人類は、最後にこの方向に向かうのではないでしょうか。私は、そんな気がしています。

*基本的に食料だって、関税のために馬鹿高くなっています。そもそも石油が輸入できなくなれば、農業生産はがた落ちするので、食糧安保は無意味だと著者は主張します。今の日本の農業が、石油3カロリーを使って1カロリーを得ているのは事実です。ですから、いっけん尤もな議論に見えます。しかし、農業は、仮に石油投入ゼロでも、生産がゼロにはなりません。自然は、経済学通りにはならないので、この議論は早計だと思いました。

そのような「勇み足」の記述が目立つ本ですが、一種の「思考の地平の一つ」として考えるべきでしょう。今のところ、リバタリアニズムがそういう思想なんですからね。