Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

冷蔵庫で食品を腐らす日本人

「冷蔵庫で食品を腐らす日本人」魚柄仁之助

副題は「日本の食文化激変の50年史」というものであり、著名な料理研究家でもある著者の「日本人の食」に対する貴重な考察集である。
身近な冷蔵庫から始まり、著者お得意の簡単ヘルシー料理のレシピ紹介から、最後は食糧問題までに範囲は及ぶ。

まず著者は、戦後日本人の食生活は「激変」したと指摘し、その原因を「冷蔵庫」であると喝破する。
今、冷蔵庫は軒並み大容量化しており、特に冷凍庫は大きくなっている。しかしながら、世は核家族化、少子高齢化である。家庭内で食う人数が減って、なぜ冷蔵庫だけが大型化するのだろうか?
それどころか、今はスーパーだって定休日はなく、昔の八百屋魚屋よりも遙かに長時間営業をしている。
買い物に行く暇がないわけがあるまいし、どうして籠城できるほどの食品を貯蔵する必要があるのだろうか。
その結果、各家庭の冷蔵庫は恐ろしい光景となるのである。いつ冷凍したかわからない肉や魚、新しいほうれん草を買ってくると、使いかけの古いしなびたやつをポイ。
そういう冷蔵庫だらけになっている。

中共毒餃子事件で、日本の冷凍食品への依存ぶりが白日のもとにさらけだされた。
共働きでないと生活できない、子供はすぐに食べたがる、だから冷凍食品が必要だと世の母親は言うのである。
本書の中に、北海道の牧場で働いたときの経験が記述されている。
早朝起きると、缶詰と漬け物とインスタント味噌汁。食事をし、そのまま搾乳作業をする。昼も同じ。夜は連日ジンギスカン。農協で買ってきた味付け肉を焼いただけ。それで、20時過ぎまでくたくたになるほど労働する。
この牧場は、乳牛100頭の面倒を2組の家族でやっていたそうだが、お嫁さん2人も労働力なので、作業で働きづめ。で、この家の台所には、包丁がなかった。缶詰にジンギスカンで、包丁が必要な道理はない。
これが、日本の食を支える現場の実態であるのだが、その光景は、今や消費者も変わらない。缶詰が冷食になっただけである。
ついでに、この牧場の人たちは、ついぞ笑うということがなかったそうである。

評価は☆☆。食は生きる根本である。食をみれば、その国の有様が分かるのである。
冷蔵庫ばかりが大きくなっていく日本の食卓よ。心ある人に読んでいただきたい本である。

さて。
本書には、今話題の鯨についても触れているから、ちょっと内容をご紹介しよう。
日本の捕鯨は、戦時中は中止されていたが、1945年8月15日から日本は未曾有の「食料確保戦争」が開戦したのである。
日本人が皆飢え死にしかけているのを見て驚いたマッカーサー元帥は、捕鯨を行うように日水、大洋漁業両社に指令を出す。日本の捕鯨マッカーサー指令によって復活したものである。
ところが、当時は敗戦したばかりで、ろくな舟がない。昭和15年に比べて、保有トン数は14%に過ぎなかった。空襲と潜水艦のためである。
であるから、日水、大洋両社の水夫は、ボロ舟で家族と水杯を交わして出漁した。
翌年、日本には1万トンあまりの肉と、3700トンの鯨油がもたらされる。鯨油は貴重な外貨に変わり、鯨肉は食料となって、日本国民の貴重なタンパク源となった。
しかし、それから徐々に鯨肉の地位は低下する。いわば「庶民の味」となった。鯨カツなど代表だろう。
80年代に暫定的な禁捕鯨措置がとられると、今度は貴重品だというので、おりからのバブル経済と相まって、高級品として価格が高騰。
ところが、近年は再び価格が下落している。禁捕鯨が長く続き、調査捕鯨で鯨肉が増えてもだぶついているからである。

長く禁捕鯨を続けているにもかかわらず、シロナガス鯨の生息数はおよそ1000頭であり、資源保護を始めたときと同じで全く増えていない。
一方、ミンク鯨は83万頭という驚異的な数となった。ミンク鯨は繁殖力が強く、小型で移動も早いので、シロナガスのエサとなる魚を食いつくしてしまうのが原因だと思われる。ミンク鯨を間引いて、シロナガスを保護しなければならないのだが、反対運動でどうにもならないのが現実である。

鯨肉の地位は、人間の都合によって上下してきたのであり、食糧危機の時代になれば、必ず鯨肉は見直されることになるだろうと著者は言う。

なぜそのような結論に至るのか。それには「水」の問題が大きくからんでいる。

およそ1トンの米をつくるのに、水が3600トン、麦ならば2000トン必要である。
肉は、鶏豚牛でそれぞれ異なるが、いずれも穀物飼料を必要とし、平均で1トンの畜肉を生産するのに7トンの穀物を必要とする。麦で換算すると、なんと肉1トンに必要な水は14000トンとなる!
牛丼1杯が「2000リットルの水」と同じ、である。腰が抜ける数字である。すなわち、日本が穀物や牛肉を輸入することは、仮想的に大量の水を輸入するのと変わらない。
地球の水の総量は14億立方キロメートルであり、このうち淡水が2.5%。その淡水のうち2/3は氷河や凍土であるから、だいたい0.8%しか使える水はない。
で、このままでいくと、2050年には89億人の世界人口のうち、40億人が水不足に見舞われる。水不足というのは、飲料水がないことではない。食糧不足は、間接的な水不足なのである。
今や反捕鯨国の旗手であるオーストラリアだが、実は温暖化でもっとも乾燥が進む地域である上に、地下水も水位が下がっている。鯨肉の代わりに、牛肉を売り続けてくれる保証なんかないのだ。
それなら魚を、となるだろうか。
日本の魚の自給率は、70年代には100%であったが、今や57%であって、なお問題は、世界の市場でセリ負け始めていることだ。だから、これから、サーモンやマグロなどの人気がある大型魚はどんどん入手難になる。
だから、今まで貶んでいた鰯や鰺、鯖が大事なのだが、こういう漁業資源は大幅に減っている。もちろん、水質汚染や温暖化の影響もあるが、推計で鯨類の補食量は、人間の漁業並かそれ以上になっているのである。

結論から言えば、自由な市場によって日本がいつまで食料を入手しつづけられるか、の見通しは明るくない。
世界的な砂漠化、温暖化は、水の間接輸入である食料に必ずおよぶ。
そして、先進国が牛肉を食えば、その分途上国の人間が飢えるのが、すでに現実の世界なのである。
そこに鯨肉である。もちろん、増えすぎたミンク鯨の管理捕鯨ということになるのだが。
先進国で鯨を消費するのが、人類のためにとって、不合理な話である道理はない。少なくとも、オージービーフよりはマシな話なのである。
放っておいても、必ず鯨肉を見直しせざるを得ない時代が来るでしょう。
そのとき、また鯨肉の地位は上がる。上がったり下がったり。人間の都合というもんですなあ。

ついでに言えば。
食糧安保」というのは「自由な市場で、食料を手に入れられなくなった場合にどうするか?」を「現実的なリスクとコスト負担のバランスとして考える」ことでしょうな。
「食料は、自由な市場で手に入るじゃないか」という主張は、防災対策について「災害が起きなければいいじゃないか」というのと、論理的には同じである。
災害の確率と、それに費やすコストのバランスを考えたときに、確率ゼロであればコストはゼロでもいいわけだ。
しかし、確率ゼロである理由がない。であれば、適正なコストを考えるのは必要なことである。

捕鯨という手段を確保しておくのは、仮に「反捕鯨国の反発」があるとしても、それは「コスト」だと考えておけばいいんじゃないか、と思うのである。
世界には、そもそも厚顔無恥な国はいくらでもあるんですからね(笑)道理があるだけマシなんですよ。