Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

"環境問題のウソ"のウソ

「"環境問題のウソ"のウソ」山本弘

あの「と学会」会長、山本弘氏による「環境問題はなぜウソがまかりとおるのか」(武田邦彦著)への批判本である。
武田邦彦氏著作については、以前に読んだ。いわゆる「ペットボトルリサイクル」が、全然環境保護になっていない、リサイクルは環境に優しくない、という主張であった。
この本に対して、山本氏は「そんなことはない、ペットボトルリサイクルは有効に行われている」と反論する。
山本氏の批判の根拠はデータがしっかりとしており、充分納得できるものだ。
山本氏は、武田教授を「自分の主張を広めようとするあまり、データや数字を誤読、または改ざんしている。それは科学者の態度ではない」と批判する。
このあたり、山本氏の舌鋒は鋭い。

しかしながら、武田教授の計算式(正確性には疑問が生じるにせよ)による「リサイクル効果を経済計算によって計測する」に対する反論の根拠は、ちょっと曖昧だ。
武田教授は、基本的に、たとえば「リサイクルのために働いた人件費も、すなわち、その人が消費するエネルギーも、リサイクル計算の中に組み込むべきだ」と主張している。
それに対して、山本氏は「経済計算と環境保護は関係ない。ぼったくりバーと、まともなバーで、環境にかける負荷が変わるわけがない」という反論をしている。
この問題を、ちょっと考えてみよう。
極端な例で、たとえば「社会の人全員がリサイクルビジネスに従事した」と考える。すると、たちまち社会は生産を失って崩壊する。当たり前である(笑)このとき、リサイクルに従事する人々の賃金は、法的な規制がなければ限りなくゼロになるだろう。誰もお金を払おうとしないだろうからね。すると、当たり前だけど、リサイクルに従事する人はいなくなるだろう。リサイクル「ビジネス」自体は、需給原則に従うことがわかる。
どんな産業であれ、その産業規模に応じて環境に負担をかけている。だから、産業自体の環境負荷を考えるとき「リサイクル産業」だけを聖域にはできない、というのが武田教授の立場だろう。
だから、問題は、リサイクルによって得られる市場利益が、新しく資源を消費して生産する利益に比べて低い場合(もしも自由な市場であれば)どうしてなのか?ということになる。需要がない、とすれば、リサイクルは社会にとって有用なのか、どうか。
山本氏が主張するように、リサイクル産業に従事する人が減ったからといって、その人たちが消えていなくなるわけではないのだから、リサイクル計算に入れる必要はないという主張は「地球全体の資源消費」を考えた場合に有効である。しかし、リサイクル産業単独でことを考えた場合には、違う結論がでるように思う。
ただ、この前提は「自由な市場」が資源にも、リサイクルにも、人件費にも存在していることが前提である。
たとえば、もしも歪められた市場によって「資源価格が不当に安い」ことになれば、リサイクルはなかなか市場として成立しなくなる。
そういう前提で、環境問題の「市場性」をみるべきではないか、と思う。「使い捨て」にした方が安いのは、原料が安いからである。逆にいえば、そんな潤沢にある原料をリサイクル価値があるのか?リサイクル自体に、エネルギーはかかるのだぞ。それは人件費にもなるし、Co2排出にもなるので、うっちゃとけば「省エネ」じゃないの?
いや、みんな燃やせ、どうせ生ゴミは燃えないので今でも重油を使っているんだからさ、という話にも、一抹の真実はやっぱりあるだんろうと思うんだけど。

評価は☆。えんえんとデータ提示と検証。ま、ご苦労さんです。

で、ふと気がついた。
もしも「リサイクル産業に従事するのが全員ブッシュマン」だったら、どうだろうと思ったのだ。
ブッシュマンは、平均的日本人に比べて、きっとエネルギー消費量は1/100くらいじゃないのか?いや、もっと少ないかもしれん。
だから、ブッシュマンがリサイクル産業に従事したら、日本人がリサイクル産業で働くよりも「リサイクル産業」としては、遙かに環境に優しいことになるじゃないか。うん!
けど、日本にはブッシュマンはいないしな、、、と思う。
日本で、誰が一番、エネルギーを使わず、環境に優しい生活をしているだろうか?考えたら、答えがあって「ホームレス」だ!
彼らが、日本ではもっとも環境に優しい生活に違いない。だから、彼らにリサイクルビジネスを!と思ったら、もうやってますがな。
空き缶集め。雑誌の再販売。うん、たしかにエコじゃないか。お、ちゃんと経済原則が成り立っているぞ。
じゃあ、なんでホームレスの人々は、ペットボトルを集めてないの??

そういうところに、やはり、一抹の真実があるんでしょうなぁ。