Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

宮型霊柩車が消えるわけ

先日ラジオを聞いていたら「宮型霊柩車」が消えつつある、という話をしてました。
なんでも、火葬場近辺の住人が、宮型霊柩車を嫌がるのだそうです。火葬場は、だいたい自治体が運営していますから、住民の意向は無視できません。
「目立たない洋型にしてくれ」という要望が多く、火葬場によっては宮型霊柩車の乗り入れが禁止になってしまう、ということみたいです。

宮型霊柩車は、昔の葬列で亡くなった人を担いで墓地まで行く「輿」の名残で、あれはあれで伝統があるんですが。

葬儀社の人の話では、今の喪主さんは、まだ宮型希望の方も多いけど、これから若い人達が喪主になれば、「シンプルに」とか「無宗教お別れの会」が増えるので、ますます宮型は減るだろう、ということでした。

私は、この話を聞きながら「ああ、結婚式と同じだなあ」と思いました。

いつしか、神様の前で縁を報告するという「神前」結婚式は廃れてきて、キリスト教でもなんでもないカップルが「かっこいいから、かわいいから」教会で結婚式を挙げるようになりました。
その結婚式は、さらには「人前」となり、西欧の神様も追放されて「パーティ」になろうとしています。
(ついでに、離婚も増えましたね。当世珍しくありません)
葬式も、ついに結婚式と同じ運命をたどるのだろう、と思います。

宗教は、なんとか「習俗」として延命を図ってきたのですが、その「習俗」は変化するものですから、当然に流行によって左右されます。

最近では、散骨希望の方も多いそうです。墓はいらない、ということのようです。

私が思うのですけれども、「無宗教」という形式は、実は「無宗教という名前の宗教」であります。本当に無宗教なら、結婚式も葬式もいらないのですが、仮にやるとしたら、どの宗教でやっても問題ないはずです。だって、そもそも神仏はいないのですから、仮に仏式でやろうが、キリスト教式でやろうが、それは「セレモニー=儀式」であって、心とは関係ないはずですからね。
無宗教論者が、無宗教形式にこだわるというのは、すでにマンガなのですが(苦笑)。

散骨するなら、生ゴミとして捨ててもいいはずです。それを散骨してもらいたいのは、やっぱり一種の宗教だとしか思えないのですが。

火葬場の近所に住む80を超えたおばあさんがこうおっしゃっていました。
「そりゃあ、若い頃は、霊柩車なんて見てもね、なんとも思わなかったのよ。でも、この年になると、いくら元気でも、ああ、次は私の番かと思って、いやあな気分になるの。だから、なるべく目立たない車にして欲しいのよ」

おっしゃることは、もっともですね。
しかし、人は死を免れることはできませんし、若い時代に今更戻るわけにも参りません。それだけが確かなことです。

忘れて生きたいのは山々ですけれども、いつかは勘定書が回ってきます。宮型霊柩車がなくなっても、勘定書はなくなるものではありません。

私は、自分の勘定書が、やっぱりまだまだ恐ろしい。本当に、まだダメな人間でありますなぁ。。。