Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

靖国問題(4)

(靖国問題 高橋哲哉 続き)

私「さて、つづいては『文化の問題』です。この章では、江藤淳の論理が『日本の死者を祀る伝統』と『どこの国でもやっている戦没者の顕彰』は矛盾する、という指摘がされています」
老「しかし、高橋も、アメリカのアーリントン墓地をはじめとして、英国にも中国にも朝鮮にも『国のために死んだ兵士』を祀る施設があることは否定できなかった。だから、なおさら日本の伝統に覚醒的な江藤の議論が必要だったのじゃ」
私「江藤の議論が必要、というのは何故ですか」
老「仮に、この議論の後半部分だけ、すなわち『どこの国でもやっていることを、どうして日本だけはやっちゃダメなんですか?』になってしまうと、神学論争が見えすぎて都合が悪いからじゃ。論理的そうに見える議論ができんではないか」
私「論理的そうにって、そんな(笑)」
老「じゃから、すでに指摘済みの通り、高橋の議論の本質は大衆に『エリートの論理で考えろ』ということじゃからの。『○○ちゃんも××ちゃんもやってるのに~』と大衆の論理が出たら、そりゃあ困るわけじゃ」
私「それをしないのが、日本の独自性なのだ、という回答しか思いつきません」
老「たしかに独自じゃわの(笑)」
私「まず、前段の議論ですが『靖国は、そもそも敵は祀らず、日本人であっても民間人の犠牲者も祀らない、日本の伝統にない特殊な施設』という指摘がありますね」
老「いったい全体、こんな与太話を誰が言い出したのかと常々疑問に思っておったのじゃ。あほくさい。中学校の歴史年表をもってこい。歴代の有力な武士を探してみよ」
私「はああ。ええと、坂上田村麻呂とか」
老「滋賀の田村神社の祭神じゃ。しかし、敵のアテルイが一緒に祀られたりしてはおらぬぞ」
私「次は、源氏と平氏ですね」
老「源氏といえば鶴岡八幡宮じゃ。しかし、平清盛が一緒に祀られているとは聞いたことがない。厳島神社に源氏が一緒に祀られているはずもないしの」
私「ははあ。まあ、湊川神社に足利氏が一緒に祀られていないのは当たり前ですが(苦笑)」
老「湊川は明治じゃからの。しかし、秀吉を祀る豊国神社に徳川が一緒に祀られたり、その徳川の日光東照宮のどこに石田三成が祀られておるというのじゃ?ばかばかしい」
私「そりゃそうですね」
老「上杉神社武田信玄が一緒に祀られていたら、驚天動地じゃ。なんで『敵も一緒に祀るのが日本の伝統』なのじゃ?あほくさい」
私「本書には、円覚寺の例がありましたが、実はこの本を読むまで、円覚寺に蒙古軍が祀られているとは知りませんでした」
老「単なる例外じゃろ。どっかのビルの玄関先で毎朝掃除していたら、ある日声をかけてきた老人がそこの会長で、大型受注がキマリ。そういうセールスマンの武勇伝を本気にして、毎朝客先で玄関掃除をしたらタダの馬鹿じゃ。例外は例外じゃわい。ところで、今挙げた神社の中で、民間人の犠牲者を祀った神社が一つでもあるかの」
私「いいえ。ございません」
老「ほうらみろ。そもそも、日本の伝統に、敵味方を一緒に祀るような話は一般的にないし、戦役の犠牲者を敵と一緒に祀る伝統もないわい」

私「しかし、なんでそんな話になってしまったんでしょう?」
老「ふむ。インドに、ハヌマン・ラングールという猿がおるのじゃが、日本の学者が『彼らは同類で子殺しをする』ことを発見して報告した。しかし、その報告は長い間顧みられることはなかったのじゃ」
私「それはなぜですか」
老「当時は『同類間で殺し合いをする哺乳類はヒトだけ』ということになっておった。云うまでもないが、そういうイデオロギーであったのじゃ。だから、都合の悪いハヌマン・ラングールの観察結果は無視されたのじゃ」
私「そんなことが。。。」
老「ハヌマン・ラングールの例が『発見』されてから、他の霊長類すなわちゴリラもチンパンジーも同類殺しをすることが次々と発見された。そこで、今度は『霊長類だけ』と言い出したのじゃ」
私「イデオロギーとはすごいですなー(笑)」
老「そうしたら、ライオンが同類殺しをすることが発見された(笑)おかげで、今では自然界で同類殺しをしない動物のほうが少ない、という事実がしぶしぶ認められた、というわけじゃの」
私「呆れた話ですねえ」
老「イデオロギーという奴は、事実をありのままに観察することすらないのじゃ。自分に都合の良い点だけを拡大するだけなのじゃな(苦笑)」

私「じゃあ、靖国も、まったく特殊な神社とは言えないわけですね」
老「いいや。そうとも言えぬな。靖国は、他の神社にはない、非常に特殊なる点があるのじゃ」
私「はて?それは、なんでございましょうか?」
老「そもそも、神社は日本の怨霊信仰がもとなのじゃが、生前に巨大な力をもっていたものほど、死後の怨霊も強いと考えられておった」
私「なるほど。なんとなく、わかりますなあ」
老「それゆえ、祭神は、時の権力者ばかりじゃ。つまり、一般の兵士を祀ったりはしない。上杉神社に祀られるのはあくまで謙信その人じゃからの」
私「ちょ、ちょっと待ってください。それでは、もしも日本の伝統に則って、靖国神社の祭神を決めるとすると。。。」
老師はニヤリと笑った。
老「さよう。その通りである。つまり『A級戦犯だけを祀る』のが正しい、ことになるの」
私「そ、それはいくらなんでも!」
老「まずいわなあ。。。まあ、ワシに云わせれば、A級戦犯の連中のほうが、強大な怨霊になる可能性が高いのじゃから、祀らねばまずい、というのが日本の伝統的神道に則った解釈のように見える、ということじゃ」
私「またそういうことを。。。しかし、文化の問題ということで云えば、どうなんでしょうか」
老「そもそも、神社の建立そのものが、時の権力者によってなされるものだし、仮に敵を祀る場合であっても、自軍と一緒には祀らぬ。神田明神平将門は祀られても、藤原秀郷が一緒くたに祀られはせぬ。しかし、だから靖国は伝統的神道形式の枠内にとどまる、とは云えない。靖国以外に、将軍以外の一般の兵士まで合祀した神社は見あたらぬな」
私「ということは、どう解釈すればいいでしょうか?」
老「靖国問題の核心は、実はA級戦犯でなく、そこに祀られた一般の兵士をどう考えるか?に行き着く、ということじゃ。高橋は、そちらに話が向かわないように苦心惨憺しておるが、すべて看破じゃ(笑)」
私「ええと。このへんで放っておいて、と。次『国立追悼施設の問題』行きますか」
老「なんじゃ、せっかくいいところなのに。まあ、いいか」
(続く)