Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

フィーメール・マン

「フィーメール・マンジョアナ・ラス。サンリオSF文庫、絶版。

アメリカのSF小説で、特に70年代を代表する三人は、ル・グイン、ウィルヘルム、そして本書のジョアナ・ラスである。
ル・グインといえば「闇の左手」という代表作(しかも、SF小説の中でも名作といえる)があるし、ケイト・ウィルヘルムは「杜松の時」や「鳥の歌いまは絶え」などの名作がある。
そして、ラスの代表作が本書「フィーメール・マン」である。

本書は、いわゆる女性解放、フェミニズムによる実験小説である。小説としての論理は破綻しており、各々の章に統一したストーリーはない。
アンソロジーだと思えば良いのであるが、いわゆる連作短編集でもない。一応小説であるが、小説としてみれば、完成度は疑問符しかつかないだろうと思う。
しかし、この作品が、現在につながるフェミニズムの大きな潮流を作り出した一冊であることは間違いない。

有り体にいえば、本書は小説「作品」ではなくて、作者の思いのたけをぶちまけた「論説」のたぐいだと思う。
言い換えれば、その部分を抜いてしまうと、評価すべき部分は溶けてなくなってしまうのだ。
表現は悪いかもしれないが、ちょうど時を同じくして日本で流行したフォークソングと同じで、過激な「社会の矛盾をつく」歌詞を取り去ってしまうと、音楽的にはとるにたらない単純なコード進行しか残らない(音楽的にはとりたてて評価するようなものでない)のと似ている。
「主張」のために小説があり、音楽があったのが60年から70年の時代背景であった。

本書の登場人物は4人である。作者の名前が「ジョアナ」であることと重なって、4人の名前はすべて頭文字がJで、かつ、それぞれ違う環境で育ったことになっている。
(多元宇宙とか未来とかの舞台はあるようだが、物語後半でもこれも破綻する)
ジャネットは、植民宇宙船が着陸した惑星で、男がすべて死んでしまい、女だけの単性生殖をする世界から来た。彼女の世界観では、男の役割も女がするわけで、もっと言えば男性の必要がないのである。
ジーニインの世界は、封建主義そのもので、すべて男が権利を持つ世界である。彼女の徳は「従順で愛らしい」ただ1点である。
ジェイルの世界では、男と女は敵であり、戦争をして殺し合っている。この世界では、女が男のようになっているので、男しか存在しないわけである。男のやることはレイプと戦争だけ、という主張が背後にある。
最後のジョアナは、苦悩しつつ小説を書く。女性の本当の姿を伝えるためである。

本書を読んでいると、たとえばジェイルの世界には、嫌悪感を抱かざるを得ない。そこが著者の狙いであって、男に対するルサンチマンを「ほら!あんたたち男の世界はこんなもの!」と見せる効果を狙っている。
女性が男の役割をすることに嫌悪があるなら、男性を嫌悪することと変わりがないはずだ、というのが著者の主張なのである。
ちょっと読むと、男性嫌悪の書、レズビアン肯定の書とみえるわけだが、女性だけしか存在しない世界を想定することで「嫌悪するのは、男性ではなくて、男性的な役割そのもの」に気づかせようということである。

評価は無☆とする。
現在、このアジテーションは意味を喪失してきていると思うからだ。時代性に寄りかかった作品は、時代とともに滅びる。

本書は小説ではなくて実験小説であり、先に述べたようにアジテーションである。その都合上、本書に登場する男は、常にセックスと暴力のことしか考えていない。
そりゃあそうで、知的でかつ誠実で、粗暴さなんぞかけらもない男を登場させては、話が成立しないワケだ。
だから小説なのである。

しかし、昨今の草食系男子じゃないが、そんな男は現象の一方である。
むしろ、女性に相手にされず、かといって卓抜な能力があるわけでもなく、玉の輿の機会も(ほぼ)失く、風俗にいく度胸も金もない男のほうが圧倒的に多数になってきているのだと思う。

むろん、未だに、男女平等な世の中であるとは到底言えない。フェミニズムが、そういう意味で、意義を失ったとは思えない。
しかし、男の立場で考えると、しじゅう競争にさらされる男の人生も、そんなに素敵なものじゃない。それを目指す自由はあっていいとは思うが、私はばかばかしいように思うな。

それよりも「ういうっかり、生まれちゃった」ことを出発点に、相哀れみつつ、この厳しい人生を楽しく過ごせるように、なんとか考えるべきじゃないかと思う。
男も女のいつかは死ぬものである。いがみ合い「おまえのものをよこせ」と主張し合うのは、それ自体を「やりがい」と感じて充実できる場合には有用である。金儲けが好きな人には金儲けが有用であるし、フェミニストにはフェミニズムが有用なのである。それが楽しいからである。
しかし、私は、正直どうでもいいので、それよりも静かな生活をしたい。
他人がもっているものをうらやむよりも、今の自分がもっているものを楽しんだほうが賢いような気がしているのだ。
年をとったんでしょうなあ。