Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

コミュニケーション能力が低いという悲しみについて

公然と言ってはならないことなのだろうが、いい年こいた男が独身だと、社会的にはかなり不利である。
たとえば、転職とか、昇進とか。
結婚?は、あえて言うまでもないが、それはまあ、生物学的な必然だから、ちょいと除外して考えてもいい。

どうして、このようなことになるのか?
思うに、それは「いい年して家庭を持っていない人物は、つまりコミュニケーション能力が低いのではないか」という点に尽きると思う。
本人が、少し過激な言動をしようものなら「ああ、やっぱり」となるのである。
今は、昔と違って、そんな差別はない、という方が多いかもしれない。けれども、差別という意味ではなく「評価」は、必ず行われる。
結果として「コミュニケーション能力が低い」となれば、これは立派な評価だから、採用をためらうだろうし、昇進は遅れるだろう。

私は、コミュニケーション能力がかなり低い。対人感受性、というやつの問題である。今の言葉でいうと「KY」な体質なのだ。
プレゼンをするのはヘタではないし、パーティでそれなりに挨拶することもできる。
そういう型どおりの儀式を含むコミュニケーションは、相手を観察しながら次の手を打つ必要はない。頭の中で、きっちりケースを想定して、対応を考えておけば良いのである。
つまり「計画=実行」というマネジメント能力があれば、充分に補えるのだ。

しかし、プレゼンでいかに大向こうをうならせても、私は名刺交換を求められないタイプである。
パーティで、左右の人と挨拶して、ちょいと「世間話」をする。しかし、気がつくと孤立してしまうタイプである。
「世間話」は、新聞を読んでいけば、それなりに出来るが、その次が続かない。
かくて、私は、ぽつんと浮いてしまう。
小学校以来、こんな有様が変わっていない。よくいじめられなかったものだと思う。勉強だけは、まあ人並みに出来たおかげだろうか。

コミュニケーション能力の低さというのは、自由恋愛市場においては致命傷である。
私の昔の恋人は、例外なく、しばしば私をなじったものだ。
「あんたにやる気がないからよ」
そのたびに、私は「努力しているつもりなんだが。。。」とボソボソつぶやくほかなかった。
正直、どうすれば問題が解決するかなんて、皆目見当もつかないのだ。
私は思ったのだが「体育ができないのと同じで、なんで出来ない、出来ないのはやる気がないからだ、と言われても、出来ないものは出来ないとしか言いようがない」
いや、ホントに体育は苦手だったので、何度も情けない思いをしたのだが。まあ、似ているわけである。

けれども、どういうわけか、恋愛だけは
「万人が出来るはず」
という妙な社会的合意がまかり通っているので、私の思いは、まったく賛同を得られなかった。

たぶん、きっと、今日もコミュニケーション能力がない人々が「なんで出来ないの」「自分のことばかり言って!」と怒られているに違いない。
「ごめん」と言いながら、どうしていいか分からずに、途方にくれているのに相違ない。

私も、ずっと途方にくれている。
生きることは苦である、とつくづく思うより他にない。

ちょっと能力的に劣るからといって、正面きって罵倒される人生は、きついもんなあ。放っておかれたほうが、まだマシだと思うが、そうすると、ますます孤立してしまうわけだ。
本人はそのほうが当面、落ち着くわけだが、言うまでもなく、コミュニケーション能力という奴は、さらに劣化する。
苦しい、苦しい。

だから、私は、いわゆる「ひきこもり」の人々が、あまり他人とも思えないんだよ。いい年こいた中年男が、そんなことを言ってる時点で、すでに失格なんだろうけど。

なんとも。つらい世の中でありますなあ。。。