Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

農協の大罪

「農協の大罪」山下一仁。

衝撃の書であり、書評で軽く内容を説明できるレベルではない。しかし、農業に関心を持つ人にとっては、間違いなく必読の書であるといえる。
著者は最近まで農水官僚だった人であり、データの詳細さと説得力は抜群である。
日本の官僚には、実に優秀な人がいたのだな、と深く思わずにはいられない。
と同時に、このような優秀な人材をもってしても、失敗と言わざるを得ないような農水政策の現状には、深い構造的な問題があることを知ることになる。

著者が「農協の大罪」と呼んでいるものは何か?
それは、一言で言ってしまうと「農家を保護することと、農業を保護することはイコールではなかった」ということである。
日本の戦前の農家には「貧農」と呼ばれる人たちがたくさんいた。自らの農地を持たず、小作のみで生活をせざるを得ない彼らを、なんとか救うこと。これこそ、戦後日本の「農地解放」であるし、自らの土地を耕す農民の経済的基盤とやりがいを取り戻すための、まさに「正しい」政策であったといえる。
しかし、農地解放に続いてやってきた現実は、農水政策を遙かに超えた事態であった。
戦後の日本は、高度成長のかけ声のもと、工業化へ向けてひた走ることになったのである。
農家は、次々と現金収入を求めて、工場に出かけるようになった。気がつけば、農業に情熱を注ぐ「専業農家」は壊滅し、いわゆる兼業農家ばかりとなったのである。
兼業農家は、休日にしか農作業をしない。実は、戦後、もっとも手間のかからない現金収入を生む作物がコメであった。
コメは手間の結晶だというが、しかし、さらに収入になる蔬菜の栽培は、とても「休日農業」ではできないのである。
そして、気がつけば、農家の貯蓄額の平均は一般的なサラリーマン家庭のそれを遙かにしのぐ、一大金融勢力となっていた。
農地は自由に売買できず、従って新規参入もできない。農地がなければ農家にはなれない。
しかし、農業委員会は、農家自身が宅地転用を願い出れば、これを認めてしまうことが多い。結果、あちこちの農地に虫食いのように宅地が点在し、これが拡大していく。
農家を経済面で支える現金収入のための工場誘致、季節労働(公共事業による土木工事現場)、宅地開発のための金融機関。これらの維持のためには政治力が必要であり、農協は一大政治団体として国会議員を輩出するまでになる。
この時点で、農協、農水議員、兼業農家の鉄のトライアングルが完成したのである。

コメの減反政策に象徴されるように、兼業農家で唯一生産可能な作物であるコメを守ることは、農協の死守ラインとなった。
結果、農協自身が減反推進とともに米価維持に躍起となるという結果となった。
農協は、たしかに圧倒的な多数を占める兼業農家の利権を守る役割を果たしたのだが、さて、それは農業を守ることになったであろうか?


評価は☆☆☆。
自信をもっておすすめする。秀逸な書である。

昨今は、不景気のゆえであろうが、セーフティネットからこぼれ落ちる人々が増えている。
構造改革路線は失敗だ、セーフティネットからこぼれ落ちる人々を救え、という議論が活発である。
しかしながら、一方で、彼らを保護することと、彼らが食べていける産業を守ることは別なのである。
失業問題でいえば、イスが減っているのだから、イス取りゲームの敗者は増える。だから、敗者を守れ、というわけだ。
しかし、イスの数そのものが増えなければ、やはり問題は解決しないことも、冷静に指摘されねばならない。
それに従事する人を弱者として保護することと、弱者を出さない政策は、必ずしも一致するとは限らない。
最近の一方的な保護主義的論調には、正直、危惧を覚えるところである。