Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ナチズムに似たり

支那習近平副主席に対して、1ヶ月以前という慣例を破って特別扱いしたことが、天皇陛下の「政治利用」にあたるのではないか、という批判がある。
これに対する鳩山首相の弁明は、報道によれば以下の通り。

日中関係をさらに未来的に発展させるために大きな意味がある。判断は間違ってなかったと思う」
「あまりしゃくし定規に考えるよりも、本当に大事な方であれば若干の変更があっても、天皇陛下のお体が一番だが、その中で許す限りお会いいただく」

残念がら、上記の弁明は言葉が不足しており、意味不明瞭である。よって、補足すると。

日中関係をさらに未来的に発展させるために(政治的には)大きな意味がある。判断は(政治的に)間違ってなかったと思う」
「あまりしゃくし定規に考えるよりも、(政治的に)本当に大事な方であれば若干の変更があっても、天皇陛下のお体が一番だが、その中で許す限りお会いいただく」

さて。どうであろうか。
カッコ内の「政治的に」以外に、何か適当な言葉があるかね(笑)

他に適当な言葉が見つからないだろうが、それは明らかにこの件は「政治的」だからである。
間違えてはならないが、天皇陛下が「政治的」なのではなく(天皇家は、戦後60年間にわたって、政治的にならないように細心の注意を払ってきた)陛下を利用しようとする輩が「政治的」なのである。
天皇家が政治的に利用されてきたのは戦前の歴史に詳しいが、その反省の上にたった戦後の努力を水泡に帰すものである。陛下が、このような事態を意図したり喜んだりするわけがないではないか。

さらに気をつけなければならぬのは、「政治的」を「政治的だと言わない」のは、ナチズムの手法にそっくりであることだ。
ナチの強制収容所の入り口看板に「労働すれば自由になる」と書かれていたのは有名である。実態は、まったく逆で、なんとガス室に送られるのであった。
政治権力は、白を白くないといい、自由を奪う行為を自由だと偽る。
言葉を自由にもてあそび、実態を固溶しながら、権力は独裁へと移行するのだ。

たんに、決断力がないとか、常に閣内不一致だとか、無能だとかいうことではない。
私は、そういうレベルをこえた「きなくささ」を、現下の政権に感じている。
自民党が良かったとか、他にどこが良いとかいう次元の話ではなくて、国そのものが変貌しながら今まで見知らぬ何かに溶けて変わるという気味悪さである。

独裁政権は、常に言葉の意味を溶かすところから始まるのである。