Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

だれにでも「いい顔」をしてしまう人

「だれにでも「いい顔」をしてしまう人」加藤諦三
副題は「嫌われたくない症候群」

誰にでもいい顔をしてしまう人が存在する。
喧嘩できない、決然と断れない。
なぜそうなってしまうのだろうか、ということついて、本書は縷々説明している。

つまりは、自信がないのである。
それは、多くの場合、幼少期に母親からの愛情不足だったことに起因するのだという。
小さな子供は、母親から無制限の愛を受け取る。
ところが、この愛情がうまく伝わらない場合、子供は「自分が褒められるのは、なにか良いことをしたからだ」と思いこんでしまう。
すると、人の毀誉褒貶がすべての基準になってしまう。
自分で自分を肯定できないから、他人を喜ばせることに汲々としてしまい、人の顔色ばかりうかがうことになる。
それで幸福なら、それでも良いのだが、やはり自分を殺しているわけだから、いつまでも満足感が得られない。
つらい思いばかりを抱えていることになる。

評価は☆。興味深く読んだ。

私も、喧嘩が苦手である。ついつい、妥協ばかりしてしまう。
優柔不断で、決断力がない。喧嘩ができない。人からあきれられてしまう。
心のどこかで、自分には価値がなく、他人がすべてだと真剣に考えている。他人を信用していないのだろう。

人の能力には、潜在能力と発揮能がある。
それぞれ、他人から見えている部分と、自分から見えている部分がある。これを図にあらわすとジョハリの窓になる。
しかし、潜在能力があるといくら自分が思っても、他人からそう見えなければ無価値である。
逆に、自分で能力がないと思っていても、周囲から「できる」と思われれば、やはりできるのである。
自分に自信がない人は、その発揮能力を認めることができないから、他人にうまく利用されてしまうのだという。
思い当たるが、しかし、どうにもならないのだ。

この本にも、解決策は書いていない。

子供の頃、母親の愛が薄かったという記憶もない。それどころか、母は、私を愛してくれたと思う。
ただ、家庭では、父母の夫婦喧嘩が多かった。それがいつも嫌なことであった。
いつしか、その喧嘩の原因が自分だと思っていたのかもしれないな。

自分を信じて、堂々と生きていくことはすばらしい。
根拠のない明日を信じられることはすばらしい。
ただ、私にはできない。いつも、いつも、不安にさいなまれている。

いつか、自信を持てるようになりたいものだと思う。
唯一自信をもって言えることは、私も、皆も、いつかは死ぬということである。
それなら、思う存分にやったほうが良いのだが、しかし、それには危険も伴う。その危険に立ち向かう自信はなかなか出てこない。
経営者は、そういう意味で、自己肯定感が強い人でないとムリである。

私は、多少ムリをしすぎたのかもしれないと思う。
今からやり直すことは難しい。