Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

シェリ

シェリコレット

ヒロインのレアは高級娼婦。日本では忌避される類の職業かもしれないが、19世紀のフランスにおいては、それは金銭を優先した場合にままある選択肢であった。
社交界にだって出入りするのだから。
イメージでいえば、江戸時代の日本の花魁に近いか。
そのレアは49歳で、そろそろ容色も衰えつつある。華やかな職業のおかげで、使用人を雇って不自由のない老後を送る程度の財産には恵まれている。
そして、若い美青年と同棲している。彼がシェリである。
彼の母も、レアと同業であり、シェリは生まれながらに出所不明の多額の年金を持っている。

そのシェリも20代のなかばを迎え、レアはこの関係を清算して結婚させようと考える。
相手は19歳の令嬢である。
いわば、母親のような心境でシェリを送り出したレアだが、しかし心に空白ができる。その空白を埋めようと、彼女はバカンスに出かける。
そして、シェリも同じく空白を抱えていた。
新妻の待つ新居を飛び出し、飲み友達を連れて夜の町を連日徘徊する生活を続ける。
しかし、ある日、バカンスからレアが帰ってくる。シェリはピタリと乱行をやめて、その日の夜、レアのもとに赴く。
互いの空白を確かめ合った二人だったが、そのとき、レアはシェリに執着を見せてしまう。
本当は結婚などさせるのではなかった、二人で一緒に長く暮らそうと言う。
シェリは、この言葉で醒めてしまう。彼の知っているレアは、そういうことを言わないところがお洒落で器量だったのである。
若い美青年に執着し始めたレアを見て、シェリは「僕の知っているレアはいなくなった」と言って去っていく。

私は、そもそも「いくつになっても恋をしよう」という考え方はない。
そういうのは「年甲斐もない」のであり「みっともない」のである。年齢相応に振る舞えない人が、魅力的な訳がないだろう。
もっといえば、少子高齢化がすすむ日本においては、熟年市場にも恋愛資本主義を持ち込まない限り、経済の活性化は望めないという事情があって、マスコミ大資本が宣伝している戯言にすぎないと思っている。

しかし、この小説は名作である。
そういう「大人の事情」を、最後にかなぐり捨ててしまう、そこに人間の真実があるのだが、同時にそれは人を興ざめさせてしまうという苦い真実を含んでいるからである。
人が美しいのは、あくまで「見栄」や「意地」があるからであり、つまりは「意志」である。
天然自然の本性はかほどに苦く、しかしそれでも本性であるから逃げられないという悲しさがある。
いかに恵まれた容姿、豪奢な生活があっても、人は老いる。誰にもこれを避けることは出来ないのだ。

評価は☆。
名作というに値する作品である。
ただ、このテーマは切ないなあ。

ところで、49歳の女性と25歳の青年の恋であるが、これはアリだと思う。いまどき、この程度の話はあるだろう。
だけども、ハッピーエンドとはいいかないだろうけどね。

逆に、49歳の男性と、25歳の女性ならばどうか?こっちのほうがアリだとなれば、そりゃ私としては嬉しいが(笑)ただ、実感とすると、あまりうまく行きそうもないね。
すでに、20代の女子とは、会話すらまったく成立しないのである。そもそも、彼女らの使う単語がわかりません(泣)
年の差というのは、なかなか難しいもんですなあ。