Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

フェイスブック 若き天才の野望

フェイスブック 若き天才の野望」デビッド・カークパトリック。

既にヤフーもマイクロソフトもオールドスタイルの企業だと言われて、グーグルとアップルが2大「いけてる」企業になっている。
そのグーグルの牙城を脅かしはじめたのが、フェイスブックである。

フェイスブックは、ハーバード大学学生寮の一室から生まれた。CEOのザッカーバーグみずからコードを書いた。
フェイスブックとは、大学の新入学生紹介冊子であって、学生達はもともと「気になるあの子」が、どこの出身だとか趣味が何だとか、まあそういう用途で(笑)使っていたわけである。
それを「紙で出ているものを電子化するのは簡単なのに、それをしないのは大学当局の怠慢」だというので、ザッカーバーグが開発した。
もちろん、ネットであるから、本人が自由に編集可能なのである。たとえば「現在募集中」とかだ(笑)実際、そういう利用法が当初は目立ったようである。

それが評判を呼び、ハーバードだけでなく、次々と他の大学にも伝播していく。
もともと、連絡先に大学のメールアドレスが必要であったので、大学のメールアドレスをもっていないと利用できない。ここから、フェイスブックの独特な「実名主義」が生まれる。

大規模になっていくと、そのうちに、これが大変な広告媒体としての価値が出てくることに気がつく。
たとえば、自動車会社がキャンペーンをやろうと考えると、趣味に「自動車」と登録してある人だけに、広告を表示できるわけである。
マーケティングの世界では、ワントゥーワンマーケティング(一人一人に合わせたマーケティング)はつねに夢として語られるが、ついにそれが実現するシステムが登場したわけである。
これに気づいたマイクロソフトもグーグルも、フェイスブックの買収をしかけた。しかし、ザッカーバーグは、どんどん高騰していく自社価格についても全く動じずに、売らない決断を示し続ける。
評価額は10億ドルから150億ドルまで跳ね上がったのだが、、、1ドル90円として、10億ドルは900億円。150億ドルは1兆3千500億円だから、まさに天文学的数字である。

評価は☆☆。
ベンチャーの成長ストーリーとして、文句なしに面白い。
途中何度かあった資金危機を、運と信念、協力者の力で乗り越えていく有様は素晴らしいものだ。

ザッカーバーグは、一つの信念をもっているようだ。それは、すべての人々が、自分に関する情報を共有する透明な世界である。
人々は、最初はそれに拒否感を覚えるかもしれないが、やがて理解すると彼は言う。

中東でジャスミン革命を皮切りに、次々と民主化の動きが広まっているが、これはフェイスブック革命とも呼ばれる。
この言い方が適当かどうかには、大いに議論の余地がある。つまり、宗教改革は聖書の大量印刷というグーテンベルグによる活字の登場なしでは語れないわけだが、しかしそれを「グーテンベルグ革命」とか「活字革命」とはいわない。
革命を起こすのは人が主体で、メディアは触媒にしか過ぎない。フェイスブックが革命を起こしたかのような表現は、適切でないと感じる。

しかし、フェイスブックが起こすだろう社会の変革は、決して無視できない。友人が「いいね」とクリックしたらネットワークでつながった人たちは、やっぱりその「いいね」を見るのだ。
テレビのCMは嘘くさいと考える人たちが、友達が実際に買った商品で「いいよ」と言えば信じる。その「いいよ」が、今までとは全く違う規模とスピードで拡散することになる。

間違いないが、次の課題は「ネット選挙」の解禁だろう。
今の日本の政治は、残念ながら「与党という既得権益」「保守という既得権益」「革新という既得権益」の団体に分類できる。
労働者の味方であるはずの労組が派遣社員を救済しないように、保守だろうか革新だろうが、大事なのは既得権益というわけだ。
その既得権益が、大きく私たちの社会を損なっている。
原発問題はその典型だろう。

ザッカーバーグがいうような、透明な社会が到来するのか、それが理想なのかは私には分からない。
しかし、グーテンベルグに匹敵するほどのインパクトをもたらす可能性は、充分にあるように思う。
日本では、mixiがシェアがあり、あるいはガラケー中心のモバゲーやグリーが大きなシェアをもっている。これは、日本のガラケーが、もはや一つの「文化」をもってしまっているからだ。
その文化をつくってしまったのも、実はdocomo公式サイトという既得権益である。これが崩れるときに、日本でのフェイスブック革命が始まるように思う。
我々は、大きな変化の曲がり角にちょうど立ち会っているのかもしれない。