Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

エンジェルズ・フライト

「エンジェルズ・フライト」マイクル・コナリー

またコナリーを読んでるわけだが(苦笑)扶桑社シリーズがようやく手に入り出したので。

エンジェルズ・フライトとは、ロスの高台に作られた高級住宅街へ登るケーブルカーの名前である。
そのケーブルカーの中で、黒○の人権派弁護士が射殺死体で見つかる。
この弁護士は、近々始まる少女誘拐事件で無罪となった黒○被疑者の警察に対する損害賠償裁判を抱えていた。
OJシンプソン事件を見てもわかるように、LAには人種差別にまつわる冤罪と、これに対する陪審員の無罪評決が多くある。
そして、この黒○弁護士は、黒○被疑者の弁護をし、被告人が無罪評決を得ると警察に莫大な補償金を要求することで有名であった。
警察から言わせれば、不倶戴天の敵であるわけで、ボッシュ刑事はこの事件の捜査を命じられるが、そこに当然「仲間の警察官の捜査」を含まれてくる。
警察官達は、まったく捜査に協力的でなく、ボッシュは捜査過程で何度も嫌がらせや妨害を受ける。
その捜査の中で出てきた真実は、少女誘拐事件に関する被疑者に対する警察の暴力は事実だったということだった。
それまで、ボッシュでさえ、黒○被疑者は陪審員の白○に対する反感から無罪評決を受けたので、本当は有罪だろうと考えていたのだった。
証拠の指紋は偽造でなく、まったく偶然に付けられたものであるという真相を突き止める。
それでは、少女誘拐事件の真犯人は、いったい誰なのか?
ボッシュは、意外な真犯人を見つけると同時に、黒○弁護士がその真相を知っていた為に殺されたのだと悟るのだった。
そして、ついに事件の真相が明らかになる。

冒頭の黒○弁護士の射殺死体が発見されるところから、まさにノンストップで進む、迫力満点のハードボイルドである。
ボッシュの家庭は崩壊したばかりだが、その理由なんか吹き飛んでしまうくらい、この事件は重い。
ロサンゼルスに渦巻く人種差別と貧富の格差、それに対する反感、警察の腐敗、そして大規模暴動。
これらの実際に起こった事件を背景に、ボッシュの孤独な戦いが描かれる。
決して、それは心地よい勝利などではなく、ただ自分の信じるもののために(それは、正義ですらない)ひたすら打ち込むボッシュ刑事の姿と、それでももはや「どうにもならない」ところまで来ているアメリカの現実が、とことん描かれる。

評価は☆☆。
すごい小説だと思う。謎解きのすばらしさ、主人公の魅力、そしてロスという町の救いようのなさ。
現代アメリカがたどり着いたハードボイルドの頂点の一つ、でしょう。

アメリカの警察の腐敗ぶりは有名だが、日本の警察は比較的まともである。
比較的、というのにはワケがあって、悪名高い神奈川県警は言うに及ばず、東京の一部の繁華街の警察署も、腐敗しており、どうしようもないからだ。
闇○会と警察は、敵対もするが、一部に連携しているのも、実は事実である。
そうでなくてはやっていけない社会が一部にあり、決して切り離せないからであるが、しかし、かつては、それらの住人は彼ら同士で生活していた。
一般市民が、そういう社会と関わりを持つことは、まずなかったのである。
それが変わった。外国人の増加と、それによってはじき出された旧産業の日本人である。
そして、インターネットの普及は、一般人と闇○会の狭間を、非常に曖昧なものにした。
たとえば援○交際という名の売春を行う女性と、かつての「プロ」の女性と、さて、いったいその狭間はどこにあるだろうか?

すべての権力は腐敗する。
それは、社会が腐敗しようとする力がつねにあるからだ。
政治をみるがいい。
かつて野党時代に「任命責任」を激しく追求した野党が、与党に座ると「そんなことはやめて、まずは政治の推進を」という。
どうしてそうなるか?それを支持しようとする力があるからである。
社会が、権力を腐敗させる。
マスコミは、その権力を監視する役目を背負っていたが、そのマスコミ自体が「第4の権力」となった瞬間に、やはり腐敗をはじめたのだった。

アメリカの社会を批判することはたやすい。
人によっては、戦争もテロも資源価格高騰も、貧困も南北格差も、日本の赤字財政から地震津波に至るまで全て「アメリカのせい」だと信じている。
アメリカ批判は知的ファッションの必需品だから。
ただ、私は思うのだが、ロスの悲しむべき姿は、明日の日本の姿ではないのだろうか、と思う。
一定規模の豊かさを実現するということは、他の文明を虐げることなしではあり得ない。その行為を批判する人も、やはり実は、その豊かさを享受している。
豊かだから文句が言えるわけだ。今、食糧危機に直面するソマリアの人々の誰がシーシェパードに参加するものか。
そして、豊かなシーシェパードの人々は、日本を批判したからといって、ソマリアの困難に対するなにがしかの加害者の立場が、それによって軽減されるわけではない。
それは、原発問題で、地方の人々に原発を負って貰うことで豊かさを得ていた首都圏の人々と変わりなく、毎日クーラーや温水便座を使いながら反原発をヒステリックに叫ぶ反原発派とも似ている。

明日は我が身。誰でもそうである、と思うほかないのではないかなあ、などと思うのです。

(ヤフーの検閲に原文がひっかかっているのですが、何が検閲対象なのかわからない。よって、伏せ字だらけになりました。戦時中を彷彿させる風景を、21世紀の現在の日本でお楽しみくだされば幸いです)