Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ベルファストの12人の亡霊

ベルファストの12人の亡霊」スチュアート・ネヴィル。

主人公はフィーガン。元北アイルランドリパブリカン(共和派)の戦士である。
和平合意がなされた後、彼は周囲の尊敬を集めつつ、酒場で酒におぼれる日々を送っている。
彼には、統合失調症のような症状があって、彼が戦士時代に殺した人々の亡霊がつきまとい、不眠で悩んでいるのだ。
フィーガンは、酒の力でかろうじてまどろむほかに、眠る方法がないのである。

フィーガンに付きまとう12人の亡霊たちは、フィーガンに復讐をせがむのだ。
それは、自分を死に至らしめた人物であり、あるいは瀕死の自分を見殺しにした神父であり、その計画を立案、指示した人物である。
彼らを殺すたびに、復讐を遂げた亡霊は、満足して去っていく。
フィーガンは、12人全員の復讐を遂げ、安息の日々を得るために、かつての仲間を暗殺しつづける。

しかし、フィーガンの行動は、組織内でばれてしまう。フィーガンは決して証拠を残さないが、彼は疑われる。
そのフィーガンに、刺客が差し向けられる。
リパブリカンの内部に入り込んだロイヤリストのスパイは、フィーガンの暗殺がテロとみなされ、和平合意が反故になり、再び内戦の日々が始まることを恐れて、対立するリパブリカンの幹部を守るため、フィーガンを殺そうとするのである。
もちろん、フィーガンの行為を「反逆」とみなしたリパブリカン達も、フィーガンを始末しようとする。
孤立するフィーガンだが、彼は亡霊の声に導かれて、戦いをやめようとしない。
ギリギリの戦いを続けるフィーガンに、最後の亡霊が復讐の相手を指し示す。それは、フィーガン自身であった。。。

評価は☆☆。
実に面白い本で、亡霊のありさまやフィーガンの戦士としての活躍ぶり、そして和平合意後に堕落していく(より政治的になったともいえる)リパブリカンの様子など実に生々しい。
客観的にみれば、武装闘争路線を棄てたリパブリカンは、それなりに歓迎すべき存在であるはずなのだが、そんな我々の「平和主義」にも、あるいは「民族自決支持」的な考え方にも与さない。
そこにあるのは、徹底した個人の物語だけだ。
それは、一言でいえば悲劇である。

本書を読むには、いわゆる北アイルランド独立闘争の動きについて、概略を頭にいれておかないとわからない。
この説明は、巻末の解説についているのだが、解説を先によむ人はそう多くないと思う。
すると、なんだかわけのわからない、頭のおかしな殺人狂の物語としか読めなくなってしまう。面白くない、となってしまうだろう。
ああ、モッタイナイ。本書に限り、解説を冒頭に掲げるべきであったと思う。

さて、その北アイルランド独立闘争であるが、長年、イングランドアイルランドが対立しており、ついにアイルランドが独立を果たしたことは周知のことである。
その原因だが、実はイングランドアイルランドは宗教が違うのである。
イングランドは、国王が離婚したいために、カトリックから分離独立し、英国国教会となった。
しかし、アイルランドは、カトリックのままである。
日本人は、こういう宗教闘争がわからないので(というよりも、経済的な下部構造が上部構造を規定するというマルクス説しか知らないから)単なる経済的、地域的な対立構造の結果としての独立運動というとらえ方しかしていないのじゃないだろうか?

ところが、北アイルランドは、アイルランド独立に取り残されて、大英帝国のままにされた。しかし、北アイルランドカトリックなのである。
よって、北アイルランドの独立は、そのまま同じ宗教のアイルランドへの統合を志向することになる。アイルランド共和国派というわけで、この運動家が「リパブリカン(共和国派)」である。
一方で、そのまま英国の傘下にいればいいじゃないか、アイルランドよりも英国のほうが安定するじゃないか、と考える人がいる。宗教も英国国教会を支持することになる。この人たちは、大英帝国派なので「ロイヤリスト」になる。
しかし、ロイヤリストは、基本的には体制支持派であるから、リパブリカンにとっては、警官や軍人、その家族まで含めて「ロイヤリスト」なのであった。日本流にいえば「権力の犬」ということである。
リパブリカンたちは、民族独立闘争として武力路線をとったから、これらの人々は、いわゆるテロの恰好の標的となったのである。
そして、これらロイヤリストをたくさん殺せば、フィーガンのように地元では英雄になれるわけである。

フィーガンは言う。
「彼らは、ロイヤリストなんかじゃなかった。ただの哀れな市民だった。それはお前も見ただろう」
すると、かつての仲間はこういうのだ。
「いや、奴らはロイヤリストじゃないか」
しかし、そういう彼は、和平合意がなされた後で、英国側が干渉を控えているのを機会に、非合法なビジネスと政治的利権によって、今や肥え太っているのだ。

本書は、政治が作り出す善と悪、そこに巻き込まれる個人の悲劇を丹念に描いているのである。
ただの紋切り型の「大英帝国帝国主義的圧政がそもそもの原因」などという浅薄な時代の認識ではない。
その事情は、たとえば英国でなくても、中東などでも同じなのであろうと思う。
膨大な個人の物語の上でしか、国民というものは語れないのではないか。そんなことを思った次第である。