Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

僕はガンと共に生きるために医者になった

「僕はガンと共に生きるために医者になった」稲月明。

自ら手術不能(インオペ)の癌になってしまった内科医の闘病記である。

癌は、それだけで死に至ることは、あまりないそうである。
ともあれ、病巣を切除できれば、それで治癒が見込めるからである。
しかし、実際には「転移」という大問題がある。
転移しだした癌は、やがて全身をむしばんでいき、人は死に至るのである。

稲月医師は言っている。
「早期に手術可能な癌が見つかった人は、その幸運を素直に喜んで、手術を受けましょう」と。
しかし、稲月医師の癌は、手術不能であった。

手術不能の癌の場合は、抗がん剤治療と放射線治療が用いられる。
最近の抗がん剤は、昔に比べると、副作用も減ってきているらしい。
また、副作用を軽減するステロイド剤(プレドニン)の投与などもあって、なんとか稲月医師はホームページを作成、公開する体力を維持することができた。
本書は、そのホームページを採録加筆したものである。

著者は医師であるから、自分の病状を客観的に把握している。
「ああ、この抗がん剤も、そろそろ難しくなってきたな」
「ああ、この痛みは、骨に転移したかな。次は放射線だな」
と。職業意識が淡々と悪化していく自分の病状を描写する。きわめて正確である。

しかし、医師といえども、一人の人間である。
残されていく妻子を思い、心残りを持たない人間がいようはずはない。
せめて、この子達の運動会を見たい、お正月を迎えたい、桜がみたいと願う。
そういうことが、実は幸せであった、自分は多くの人々に支えられていたのだとつづっている。
深く胸に迫る文章である。

評価は☆☆。
今や、日本人の死亡原因の第一位が癌である。
私たちは、たいてい、最後は癌で死ぬと思っていてよい。
では、がんで死ぬということは、いったいどういうことなのか?
本書を読めば、それをきちんと知ることができる。

著者は、がんの告知を受けた時、とっさに日航機事故の際に家族に走り書きのメモを残した父親を思い出し「自分は、それに比べれば時間がある」と考えたという。
私が今告知を受けたら、「まだ時間があってよかった」と思えるであろうか。
著者は42歳であった。あまりに若い死と、その受け止め方には、驚きと尊敬の念をもたずにはいられない。

本書中で、私がとても不愉快になったことがあった。
ある健康食品が、「がんが治る」と宣伝している。著者は、それは100%否定できるものではないが、しかし、病理効果として確立していないし、健康食品でがんが「治る」ことはないと指摘する。
その指摘を書き込んだ某財団の人間達が、著者のホームページに何度も中傷を繰り返し、やがて著者はコメント欄を閉鎖せざるを得なくなるに至った。
そのコメント欄には、多くの方々からの支援や共感の声も書き込まれていたのに、である。
こういうことをする人間を、私は心の底から軽蔑する。
何を言っても無駄であろうが、、、まず人間としてダメだと思う。
私は、とにかく、そういう人間にだけはなりたくないものだと考えている。