Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

珍妃の井戸

「珍妃の井戸」浅田次郎

蒼穹の昴」という傑作をものにした著者が、同じ舞台(清朝末)で書いた作品。
蒼穹の昴の続編、ともいえる。

歴史上有名な話であるが、光緒帝の妃、珍妃は北京落城の蒙塵(長安まで皇帝一族が逃れた)さいに、宮廷内の古井戸に投げ込まれて殺された。
それは、西太后の指示、ということになっている。
この説を、4人の貴族が、その真相を求めて捜査する。
彼らは義和団の乱のおりに北京に派兵した主要国の貴族であり、もともと、そのときの連合軍兵士の犯罪の捜査のために赴いたのであったが、その操作の標的を珍妃にかえた。
そのほうが、彼らの目的である「帝政の維持」に役立つと思われたからである。
彼らの出身は、英国、独逸、露西亜、日本。いずれも帝政の国であった。

彼らは、次々と7人の証人に証言を聞いていくのだが、すべての証言が真犯人の指摘が食い違っている。
真相は、まったくわからない。
ただ、その中で、列強が清朝を食い物にしたという事実と、珍妃がこれに抗おうとして犠牲になったという事実だけが浮かび上がるようになっている。

評価は☆。
続編ということもあったが、割に面白く読んだ。
巻末の解説には、この手法は芥川龍之介の「藪の中」にならったもの、とあり、なるほどと思う。

おりしも、支那と日本の間には尖閣諸島問題が生起しており、緊張が高まっている。
支那は、尖閣は台湾の一部、と主張してきたが、近年、尖閣が台湾ではなく沖縄に所属していたことが明らかになってきている。
すると、今度は「沖縄も支那の一部」と主張しはじめた。
さらに「ポツダム宣言カイロ宣言の内容から、支那の領土であることは明らか」と主張している。
いうまでもないが、ポツダム宣言でいう「その他の諸島」に含まれていないが、尖閣が沖縄とそもに米国に占領され、その後、沖縄とともに返還がある間、なんらの異議申し立てもなかった。
誰の目から見ても、沖縄の一部だったからである。
また、日本が支那から侵略した領土にも当たらない。
しかし、それでも支那は「返せ」という。
清朝時代に、列強から侵略されたという被害者意識が、そう叫ばせる。
理屈ではなく、感情なのである。
日本の明治維新にならった戊戌政変がうまくいけば、そうならなかったであろうが、支那は失敗した。
自国の改革に失敗したつけを、隣国の日本にぶつけているのだ。
それゆえ、支那にとっては日本は尊敬すべきであり、かつ、妬ましい相手である。
この妬ましさを、日本人は、ついに理解できないであろうと思う。

よって、この問題は、理解したり譲歩したりしても解決しない。支那に必要なのは、屈辱の記憶を晴らすことだ。
そうしなければ納得しない。
問題なのは、そうすることが、実は我が国にとっては、新たな屈辱にほかならないことだろう。

といっても、今の日本人は、金さえ儲かればいいので、もはや屈辱を感じないかもしれない。
それならそれで、たいへん結構なことなので、もはや何も言わなくてもいいのであるが。