Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

真鍮の評決

「真鍮の評決」マイクル・コナリー

ついに読んでしまった。いや、実はとっておいたのである。
これぞメインディッシュであるが、すぐに読んではもったいないと思い、本棚に飾っていた。
で、ついに手を伸ばした。そしたら、夜も寝られない(苦笑)
もう、たまりません!

主人公は前作「リンカーン弁護士」のハラー弁護士。前回の事件の銃撃の影響から、病院に入院したところ、ハラーは鎮痛剤中毒に陥る。
早い話がジャンキーである。そこから、さらにリハビリを行い、ようやく回復して弁護士業に復帰しようという矢先、友人のヴィンセント弁護士が何者かに殺害される。
駐車場でピストルで射殺されたのであった。
ヴィンセント弁護士は、被告人との契約書に、万が一の場合にはハラー弁護士を後任に指名していた。
おかげで、ハラーは突如31件の事件を抱えることになるが(なにしろ、それまで仕事はゼロ)その中に超大物映画プロデューサーのエリオットが含まれていた。
彼は、妻と愛人の密会現場に居合わせて、二人を射殺したと疑いをもたれている。
ハラーはエリオットに会い、特殊な事情なので裁判の引き延ばしを提案するが、エリオットは「逃げているようにとられる。自分は無罪だ」と拒否。
ハラーに予定通りの裁判を求める。
ハラーは巨額の報酬をもらえるこの裁判の弁護人を請け負ったが、しかし、まじかに迫る裁判の準備をしなければならなかった。
どういうわけか、殺されたヴィンセントのラップトップコンピュータが持ち去られて、ハラーは弁護方針を考える。
ところが、ヴィンセントは「エリオットを救う魔法の弾丸がある」と言い残していたことがわかった。
すべてのファイルを見て考えたハラーは、ついに魔法の弾丸を発見する。
やがて、全米注目の裁判が開廷。
ハラーは、うまく被告寄りの陪審団の結成に成功するが、その中の7番が、エリオットの告白によってスパイだったことがわかる。
エリオットが予定通りの開廷を望んだのは、このスパイを陪審団に潜入させるためだった。絶対、自分に不利な判定は出ないと思っていたのだ。
悩んだ末に、ハラーはある行動に出る。
次回の法廷に、7番の陪審員が現れないというハプニングが起こるが、裁判はそのまま続行。
そしてハラーは、ついに魔法の弾丸を放つ。これこそ、エリオットを救うものだった。
誰もが被告側の有利だと感じていたところへ、なんと、ハラー自身が殺されかけるという事態が起こる。
刑事ハリー・ボッシュ(!)が、彼の危機を救う。
ボッシュは、ハラーの危機を察知していた。その理由は?
そして、意外な裁判の行方と、被告エリオットの運命は。。。

しまった、読んじゃった(笑)
これぞ、コナリーの世界だ。しかも、ハラーとボッシュと、おまけにマカヴォイまで出てくる。
コナリーめ、サービスしすぎだろ?!
とはいえ、これらの登場人物が決して楽屋落ちにならずに、ちゃんとそれぞれ、役割をもっている。
だから、小説として、きちんと成立している。

コナリー先生だから、評価は当たり前だが☆☆☆。
ほかに言いようもない。読まずに死ななくて、本当に良かったよ。

この「リンカーン弁護士」の面白さは、身過ぎ世過ぎの矛盾をそのまま、しっかりと味あわせてくれることにある。
弁護士は司法制度と被告人の利益を守る存在のはずである。
しかし、実際には、刑事弁護人のほとんどは「やっている」わけである。
それでも、被告側の立場に立って、あらゆる手練手管を使って「無罪」を主張する。
そうしてこそ、ようやく報酬金もしっかりもらえるわけである。

仕組みとしては、検察側と弁護側がそれぞれの立場でベストを尽くすことによって、はじめて正義が成立するわけである。
この世に、どちらが正しいということはなく、ただそれぞれの立場のやり取りの中で、はじめて真実が浮かび上がってくる。
もしも弁護人が検察に言うままに「そのとおりでございます」ばかり繰り返していて、はたして公正な世の中と言えるだろうか?
しかし、そのような理念と、現実はしばしば食い違う。金のために、詭弁を弄する部分がないとは言えない。
経済的事情の前に、すっかり青臭い理念なんかにオサラバしたかのように見えるハラーだが、実は、ずっと自分の良心に悩んでいる。
しかし、その良心が、果たして正しいものであるかどうか、それは彼自身にもわからないのだ。
その揺れは、離婚したために週1回となっている娘との面会日に現れる。どうしてお父さんは、悪い人の手伝いをしているのか?というわけだ。
そうじゃないと言いながら、しかし、ハラーは言いよどんでしまう。
娘に、法廷での自分の姿を見せ、かつ、良心に従い、また経済的な糧を得るために、ハラーが採った行動はさりげなく最後に描かれているのである。
それが、彼自身の命取りになりそうになったわけだが。

生きていく上で、このような悩みを持つ人は、少なくないだろう。
建前は常に立派だ。消費者の利益、お客様のため、やりがい、家族のため。
しかし、その一方で、我々が目をつぶっているものがある。
それは、立派な「オトナ」になると、失われるものである。だから、子供の目線が痛く、まぶしいのである。
コナリーは、そういう私たちの痛みを解っている。
ハードボイルドの基本である「喪失した痛みと、回復」というテーマを、常にコナリーはしっかりと踏まえている。

やはりコナリーは最高なのだ。