Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

茗荷谷の猫

茗荷谷の猫」木内昇

かつて、茗荷谷に勤務先があり通っていた。「なんでここに駅が?」というくらいの町だが、よくよく考えれば大学が多いのだった。
お茶の水女子大に拓殖大。昔はここに筑波大(当時は教育大)もあったようである。小さな文教地区であろう。

この茗荷谷を中心とした東京山の手で江戸期から戦後までの連作短編集が「茗荷谷の猫」である。
なじみの地名に惹かれて読んだ。
これはよい。じんわりと心に染み込む作品集であった。

市井に生きる人々の生活の哀歓を、抒情ある丁寧な筆致でさらりと描いている。
表題作は、亭主に先立たれた寡婦の女流画家の話である。
その茗荷谷の小さな家の縁の下に、猫が巣をする。小さな子猫が遊びだす。
その風景を背景にしながら、通いの絵画の扱い人(ブローカーだが)が、彼女に痛い指摘をする。
彼女の絵からは、昔あったものが、抜けてきているという。
その原因は、死別した夫にある。
実はその日、夫はいつものように都電に乗って出かけた。その都電が事故にあった。
あわてて現場に駆け付けたが、被害者の中に夫の遺体はなかった。しかし、夫はそのまま帰ってこない。
夫は死亡したものと扱われ、彼女は寡婦になった。
しかし、本当は彼女は、見たくないものをみている。
本郷の劇場で見かけた呼び込みの男は、他人の空似にしては、あまりに夫に似ていた。
主演の浪曲師に怒られていた。
夫は事故の前夜に「お前の絵は、売れると俺の一カ月の給料分くらいになっちまうんだな」とひとりごちた。

他の作品「庄助」で明らかになるのだが、彼女は、哀切な裏切りにあっていた。
縁の下を覗き込んだとき、ばさりと飛び出たのは、才能ゆえに幸福が壊れる音であったろう。

評価は☆☆。
この作品で、著者が大いに注目を受けることになったのはわかる。それくらい、落ち着いて滋味あふれる文章だ。

著者は1967年生まれで、私と近い年齢である。
雑誌編集者とやり、2004年にデビュー。本書ではじめて注目を浴びた。2008年のことであった。
これは、作家として遅咲きの部類であろう。
それだけに、しっかりと熟成した文章である。素直に大した筆力だと思う。

作品の中では「てのひら」に身をつまされた。
田舎から東京見物に上京した老母を、都会で働く娘が迎える話である。
子供のころ、しっかりしていたはずの母は、都会で見ると人の流れについていけない老婆に過ぎないのであった。
銀座でお茶をしようとすると高いといい、ちびた下駄を履きやすいからといって修繕してはいている。
あたらしいのを買ってあげるというと、もうあとがないから勿体ないという。
つまり、この下駄をすり減らすまで寿命がなかろうの意である。
上野公園に出かけ、人ごみにつかれた二人が食事にしようというと、母は黙って風呂敷包みを差し出す。
朝、オニギリを握ってきた。おかずは魚肉ソーセージである。
私のようなものにお金を使うことはないんだよ、と母は言う。
他人がじろじろと二人を見る。
娘は悲しくなって、お母さんはどうして都会の人のようにできないのよ、といって泣く。ダダをこねる。
母も泣く。

この話の最後に、帰りの列車に乗る母は、ずっと手を振っている。いい思い出になった、こんな楽しいかったことはないという。
それが母の優しさであることは、私がくだくだしく言うまでもない。

こんな風景は、地方から東京に出て、老母を迎えた人ならば、誰でも思い当るだろう。
著者もそうだった。実は、私もそうだった。

平凡な、ありふれた風景である。その風景を著者はまさに掌編小説として切り取った。
とてもよい小説である。