Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

スケアクロウ

スケアクロウ」マイケル・コナリー。

秋の連休は、すっかり休ませてもらった。(もちろん雑用はあったけど)
で、ごろごろしながら小説三昧ということにして、本書を上下巻で買ってきて一気読み。
ところが、ほんとに止まらなくなってしまい、おかげで連休を余らせてしまった(苦笑)
コナリーめ。

主人公はマカヴォイで、以前に「ザ・ポエット」で主人公だった。
つまり、今度もシリアルキラー(連続殺人鬼)ものである。
エルロイが喝破したように、いまどき「シリアルキラー」なんて手あかが付きまくり、みんな飽きているのだ。
では、コナリーの創造したシリアルキラーはどうか?
これが、すごいのである。

話は、主人公マカヴォイがリストラを通告されるところから始まる。
かの有名なLAタイムズですら、もはや「紙の新聞の時代じゃない」しかし、ネット新聞に切り替えて、成功した会社なんてないのだ。
クビを言い渡されたマカヴォイは、新人の女性記者アンジェラに引き継ぎをしなければならない羽目に陥る。
それでもめげずに、退社前に一発、大きな特ダネをとってやろうと意気込むマカヴォイのもとに、1本の電話がかかってくる。
うちの息子は無実の罪で服役している、お前の書き立てた記事のせいだ、というわけだ。
さっそく取材に向かったマカヴォイは、たしかにこの事件は無実の罪であることを確認した。
調べてみると、似たようなトランク詰め殺人が連続して起こっている。別に犯人がいる!
ここで、マカヴォイに引き継ぎを受けていたアンジェラが割り込んでくる。
記事を共同署名にしようとして、自分でも調査を開始。さっそくインターネットで「トランク詰め殺人」を調べる。
ここで、マカヴォイは参考情報を聞こうとザ・ポエット事件のときのFBI捜査官レイチェルに連絡をとる。
レイチェルはマカヴォイのもとに急行する。もしも真実を探り当てていれば、狙われるのはマカヴォイだと考えたのである。
さて、マカヴォイとレイチェルは再会を喜び合うのであるが、そのベッドの下から出てきたのは、なんとビニール袋で窒息させられたアンジェラの死体だった。
これは「トランク詰め殺人」と同じ手口なのだった。
マカヴォイはレイチェルのおかげで嫌疑を免れるが、そのレイチェルが今度はFBIを首になる。
無職になってしまった二人は、協力し合いながら、犯人を追いつめる。
その犯人は「スケアクロウ」つまり「案山子」なのだった。。。

いやあ、相変わらず面白い。
この犯人の造形に、私はぞっとしてしまった。
情報セキュリティに関する作中のマカヴォイの指摘は正しい。「最後は人じゃないか」

厳重なパスワードと物理的な隔壁で守られたデータセンターが「スケアクロウ」の住処だった。
獲物を育てる農場。(ファーム)
その農場を守るのがスケアクロウ。(案山子)
犯人は、鉄壁のセキュリティを誇るデータセンターの管理者そのものであったのだ。

いかなるネットワークでも、管理者権限が必要で、どこにでも出入りできるスーパー権限を持つ。
その管理者を監督するのは、その組織の長ということに、たいていはなっている。
しかし、社長にそんなスキルがあるわけもない。
管理者が悪意を持てば、セキュリティなど無きに等しいどころか、単なる猟場に過ぎないのである。
管理者は、たいへい「放し飼い」「例外」なのだ。
管理者だけは悪事をしないという、とんでもないおとぎ話の世界に、我々は依存している。
この実態を、コナリーは見事に描き出した。

本作は、過去の作品に比べて、ITスキルの解説が多くて、アナログスタイルな主人公を好むコナリーのファンからは
「ちょっと軽い作品」
だと思われているらしい。
私は、新聞媒体の問題を含めて、充分に重い作品だと思ったのだが。

作中で主人公マカヴォイは言う。
「これから、誰が政府の不正を見張るんだ?賭けてもいいが、これからの主要産業の一つは腐敗になるだろう」

日本のマスコミは記者クラブ制度によって、事実上、政府の御用になってしまっている。
マスコミの能力とは何か?
それは、とにもかくにも、独自に取材して特ダネを抜くことにあるのだ。
朝刊一面をにぎわせる巨大疑獄事件は、週刊誌の記者が行ったものだった。
当時の彼は、殺される危険だってあったに違いない。
なのに、その事件を「日本の首相を陥れる米国の陰謀だ」とかいうのである。ああ、馬鹿馬鹿しい。
少なくとも、わかったような陰謀論を振り回すよりも、実際に自分の足を使って取材した人の文章を信じるのが私のスタンスである。
そして、記者クラブの配信を垂れ流して高給を食む、今の日本の大マスコミの御高説をみよ。
アメリカのマスコミはインターネットに敗北したが、日本のマスコミは進んで政府にひれ伏し、揉み手で消費税を新聞からは免除して欲しい、とすり寄っている。

記者の矜持はどこに行った?
負けるのならば仕方がない。
惜しまれる負け方をしてみせろ、と思うのである。