Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

一日江戸人

「一日江戸人」杉浦日向子

惜しみてもあまりある若死とは、杉浦日向子のことを言うのに違いない。
もっと早く亡くなった場合は「夭折」というのだろうと思う。

江戸文化といえば、余人をもって代えがたい人であった。一時期、結婚をしていた(実際には結婚生活はなかったようだ)荒俣宏をしても、とうてい、杉浦日向子に及ばないとみる。

世間様では、やれゴールデンウィークだのなんだのと言うが、こちとら零細企業者としては、休みがあれば、仕事もなくなる。
不急の仕事をすればよいのであるが、ほんとうに金になるもんやらどうか、などと思うから手を付けるのも面倒である。
仕方がないから、都内近郊でウロウロしながら過ごすことにした。
いつもならば、自転車生活を思い切り楽しむところであるが、この休み中は妙に天気がよく、たまらず昼ビールなどやってしまうと、もういけない。

で、そんな自堕落な休みを過ごしつつ、ペラペラと読んでいたのが本書。
杉浦日向子が江戸の町を活写してくれる。

夏になれば布団を質入れし、冬になれば蚊帳を質入れして過ごす江戸人。
カネがないとくれば、やおら天秤棒をかついで何か売る。それも出来ないときは、仕方がないので、大道芸をやる。今のお笑いと同じで、老人が親孝行な息子に背負われているかと思いきや、その息子は紙でつくったマネキンである。
老人が、それを持って歩いているのである。志村けんの「白鳥の湖」の衣装を思い出せばよい(爆笑)。
もちろん、江戸の人は大うけで、そうすると投げ銭をぽいぽいとくれる。はい、これで本日の飲み代は出来た、てな具合である。

江戸時代のペットは8割は猫。犬は、それまで「人にかみつく恐ろしい生き物」であった。
綱吉が「生類憐みの令」で、大きな犬小屋を作って餌をやることにした。
おかげで、江戸の町から野犬が一掃され、やっと江戸人は「犬も可愛いのかもしれない」と思い始めた、という。
ちなみに、綱吉の集めた犬は、食っちゃ寝生活がたたったのか、みな、早くに死んだそうだ。思いもよらん結論である。

江戸っ子のおしゃれと言えば、見えないところに気を使うものである。
しかしながら、昔も、とんでもない格好の人はいたのであって、やたら長い羽織を着て、くるりと輪をつくったちょんまげをしたりしていた。
今でも、奇妙奇天烈な恰好とヘアスタイルをする若者はあとを絶たんのであって、やはり、これも昔から変わらないわけである。

気楽で、宵越しの金は持たず、銭湯の定期券をもっていて1日に3度も4度も風呂にはいり、昼酒をくらって呑気に暮らしていた江戸の人々よ。
そんな街に、今、私は住んでいる。
なんとも、ありがたいものである。

評価は☆☆。
江戸を愛する人には、すでに定番。

東京スカイツリーが出来て、最近は東京の東側にもスポットが当たってきているようだ。
昔の江戸と言えば、「しがしっかわ」の神田、日本橋柳橋、両国あたり。
足を伸ばして亀戸水神、王子稲荷に飛鳥山といった塩梅である。
ちなみに、洒落本などで発禁処分を受けた作家は、たいてい「江戸ところ払い」を食らってしまうので、そんな連中は市川に住んだらしい。
川を一本渡れば、江戸ではなくて上総の国だ。よって、奇人変人の文人墨客が住み着くことになり、最後に永井荷風までたどり着く。
そのころは、渋谷も原宿もみんな田畑だったはずである。
内藤新宿だけが、宿場として栄えていたくらいであろうか。

かつての繁華街がやがて没落して寂れた雰囲気になる。
かつての近郊田畑が、開発されて新しい都市になる。新しい都市は魅力的なので、そちらに人は集中する。
しかし、寂れていた古い繁華街は、一周回って懐古趣味を身に着けて、しずかに復活してくるのかもしれない。
都市は、新しいのも古いのも、色々あるほうが楽しいと思うのである。
東京の「しがしっかわ」が復権するのも、また良いものだと思っているのですがなあ。