Single40'S diary

「40過ぎて独身で」の作者が、あっというまに50代を迎えたブログ

正常と異常

どうでもよい話をひとつ。

神奈川県海老名市の市議が「同性愛は異常」だとツィートして、かなりのバッシングを受けているらしい。
つい最近、渋谷区で同性愛の婚姻証明が出るようになったと話題になったばかりであり、この市議の発言は「差別」だということであろう。

この種の問題は世界的にも大いに議論になっているところであって、ローマ法王が同性愛を認めるかどうかとか、プーチンは認めていないとか、まあ、なんやかやと話題になるのである。

私の個人的見解としては、こんなものは単なる個人の好き嫌いであって、差別ではないように思う。
たとえば、私は魚の中でもサバが嫌いである。イワシは好きである。では、私はサバを差別したといえるか?言えないのである。
単なる好き嫌いの表明は、差別ではない。

さらに言えば、私は芸能人の和○ア○子が嫌いである。あんなものが、年末のテレビに出る理由がわからない。
彼女についていえば、別に在日韓国人だから、ということではない。彼女自身も、それを特に武器にしていないし(テレビに出る人の中には、在日であるというネタでトークを炎上させるという芸しかない人もいる)そういう意味で、嫌いになる理由がない。
ただ、歌とかトークとか、どうも感心できないので、やっぱり嫌いだというわけである。
だからといって、私が○田アキ○を差別したということにはならない、と思う。

さて、いよいよ、本論である。
私は、同性愛者が嫌いである。正直に言って、異常だと思う。
ただし、くだんの市議が言っていた理由、たとえば生殖に結びつかない、などという理由ではないし、伝統的家族観に反するからでもない。

生殖に結びつくから善とすれば、たとえばレイプによって望まない妊娠をさせられた女性も、そういう行為も善だろうか?
当然に違うのである。生殖できるということは、とくに愛にとって万能の免罪符ではない。
ちなみに、この問題だけでローマカトリックは何百年も揉め続けたのである。神が「産めよ、増やせよ」とのたまい、異性愛が善であるなら、仮に女性が望まないからといって、その理由だけで堕胎してもよいのか?とか。そもそも、両性の合意というが、片方が合意して片方が拒否している場合(まさにレイプですな)に、つまりは片方の拒否が堕胎の理由になるか、とか。
さらにいえば、結婚と同じくらいに離婚も珍しくないのであって、合意とか拒否とかいっても、単に一過性の感情論にすぎないので、そんなもので人の生命という神の贈り物を左右して良いのか、とか。
ローマカトリック教会の議論は、実はかなり理性的なので、単なる宗教的復古主義であるわけでない。


さて、結論を述べてしまうと。はっきりいえば、私は同性愛と同様に、異性愛も異常だと思う。
なぜって、考えてもみればいい。
異性愛が正常で素晴らしいことだというなら、白昼堂々、路上で皆さんに「素晴らしい愛ですよ」と行為を公衆にお目にかけたらどうであろうか?
だって、正常なんでしょ?異性愛は素晴らしいんでしょ?
もちろん、それはタイーホである。(笑)正常な異性愛は、笑うべし、公衆の面前では犯罪なのですな。

君のお父さんお母さんは言わなかったかね?
「人前で堂々とできない、こそこそしたことは悪事である」と。
では問う。異性愛は、まさにこそこそ、かくれてやる悪事以外に比喩の言葉を思いつかぬが、どうだ?


考えてもみなさい。
いい年こいた立派な大人が、人目をさけて、パンツまで脱いで、こそこそを致すのである。
それが異性愛である。
大きな声で「異常だ」「正常だ」といえた義理ではあるまいが。

私に言わせれば、同性だろうが、異性だろうが、みんな犯罪行為スレスレの基地外ザタではないかと思う。
どっちがどっちと、大声で議論するような話じゃない。

そもそも、この世に生まれてきたのが人間の間違いのもとなのである。
死んでやっとホッとするわけだ。それまでは、苦労と絶望と苦難の連続ではないか。
愛だ恋だ、素晴らしい、いや変態だなどという世迷い言につきあってどうする。

アメリカには、幼児性愛の正当性を大真面目に訴える団体もあるそうである。ロリコンを差別するな、ということだ。
人間の性癖は、かくもあさましいが、彼らの主張を真っ向から論破できる理屈もまた難しい。

一人でなんの間違いか生まれてきてしまったんだから、なるべく迷惑をかけないように、静かに一人で死んでいきたいものである。
他人の好き嫌いなんか、どうでもよいことのように思えるのでありますよ。