Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

利休の闇

「利休の闇」加藤廣

信長の棺」シリーズで有名な加藤廣の作品。非常に面白い小説を書く人だが、実にデビューが75歳である。
50、60ハナタレ小僧。どっかの政治家みたいですけどね(苦笑)。

本書は、有名な利休の切腹の真相にフィクションで迫った作品。
オチをいうと「なあんだ」なのかもしれないけど、私は非常に面白く読んだ。
こういう小説は、作者の人間観察眼がもろに出る、と思う。
この人は、中小企業の「成り上がり成功おやじ」をさんざん見てきたのに違いない。
だから、秀吉がとても生き生きとしている。
それを嫌悪する利休は、インテリである。
無教養で、コンプレックスのかたまりで、あくなき上昇志向と人間的魅力を持ち合わせた秀吉は、偉大な「たたき上げ」中小企業のおやじが、そのまま天下をとった人物として描かれる。
無類の好色と字もろくにかけない無教養で、それを公言しながら、実は非常に気にしている。天下人という尊大な(まあ、尊大になっても当たり前ですが)地位にあって、それでも秀吉は利休を重く扱う。
ことあるごとに秀吉に批判的な言辞を吐く利休に対して、なぜ秀吉はこれを看過し続けるのか。
実は、秀吉にはまったく理想や理念がなかったのである。
ただただ、強烈な上昇志向の赴くところ、機を逃さず、縦横に機略を用いて天下をとった。
だから、秀吉には、天下をとったあとの経略がなにもない。
何かしたいから天下をとったわけでもない。理念があるわけでもない。
たとえば大阪城も、唐入りも、すべて信長がかつて目指していたところである。
秀吉は、利休から「信長が描いていた天下の経略」が聞きたいのである。でないと、何をしてよいのか、まったくわからないのだ。
ところが、利休は、なかなか秀吉の懇請に応じない。
むしろ、家康らによる騒乱が起こることを見通し、陰にまわって画策する。
我慢に我慢を重ねていた秀吉だが、ついに決裂。
怒った秀吉に対して、利休は非協力の理由を明かす。
「天下取り」の秘密を知っているから、協力できないのだ、という。
その「天下取り」の秘密とは、本能寺の変の真相にさかのぼる。。。


評価は☆☆。安定した面白さ。
たとえて言えば、ワルターの晩年のモーツアルト演奏のようなものか(なんだ、それは)。
最後のネタは「信長の棺」のままであるが、しかし、利休の経歴で信長時代に着目した点は鋭いのではないか。
利休といえば、秀吉時代の確執が有名過ぎて、ついつい「秀吉に見いだされた茶人」というイメージを持ってしまうが、実は今井宗久、津田宗及とともに「天下三宗匠」として信長に重用されていた。
身分の差がなく密談の出きる茶室が、信長の政治構想を練る場であったこともうなずける話であり、だとすると「天下布武」後の話も、当然にあったであろう。
利休がこれらの政治構想をよく知り、また献策すらしていた政治顧問だったという設定は、たしかに説得力がある。

なんといっても、本書の白眉は秀吉なのだ。
こういう、やたら人間的魅力とコンプレックスだけが肥大した人物像は、まさに「たたき上げ」の典型的なパターンであって、実に生き生きとした描写である。
「いるいる、こういうオヤジ!」と思って、膝を叩いてうなるばかり。

こういう人物は「すごいな」とは思うのだが、自分がそうなりたいか?と聞かれると、そうでもないような気がする。
じゃあ、うらやましくないのか?と言われれば、そりゃやっぱり羨ましい。
それなら素直に羨望すりゃいいものを、なんでまた「でも、ああなりたくはないね」なんて言ってしまうのか。
つまり、そのへんが、私もコンプレックスがあるところなんでしょうなあ。

欲望と、理想と、教養と、バイタリティと。
いろんなものが混ざって人間はできているようで、どうにも測り難いものだなあ、などと思います。