Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

売れないのは誰のせい

「売れないのは誰のせい」山本直人。副題は「最新マーケティング入門」

マーケティングを語る、というのは、なかなか難しい。
私が以前に在籍したコンサルタント会社では「製品の企画から販売まで、すべての活動がマーケティング活動である」と定義していた。
よくある誤解で「広告」とか「販促」がマーケティングだと思っている人がいるが、あれは間違いである。
そもそも、商品の企画から、マーケティングは始まっている。
売れない商品を作っておいて「これを売ってくるのが営業マンの価値だろうが!」などと怒鳴っている会社は、その時点でマーケティング失格ということなのだ。
そんなふうに言うと「それは経営戦略でしょ」という人がいる。
それも違う。マーケティングに、さらに財務と人事をプラスして、販売後の顧客サービスを含めて、はじめて経営戦略である。

以上のことを理解しておくと、上場準備書類の「二の部」が書けるのである。
「一の部」は、ようは財務報告書なので、これは誰でも(まあ、少し真面目にやって監査法人を入れれば)できる。
しかし、二の部が書けないのである。
それはマーケティングの視点がないからである。アナリストに対して、成長ストーリーを伝えることができない。だから、審査に通らない。
まあ、それは余談である。

で、本書である。
著者がもともとテレビ屋さんなので、マーケティングに関する視点としては、相当アマいと思う。
ことに、広告の費用対効果が不明だ、などとしているのは「悪しきテレビ業界の慣習」そのままである。
費用対効果が不明で、マーケティング戦略の立案など、できるわけがないのである。
しかしながら、実は多くの日本企業で、そういう状態のまま、大真面目にマーケティングが語られてきたのも事実だ。
その慣習に何も疑問を持たなかったから、広告業界はグーグルに負けたのである。彼らは、まず分析データの提示からページビューを売る。
ページビューから注文へのコンバージョン率も分析してくれる。主張も価格も、すべてデータに基づいて(あるいは、基づいているふりをして)いる。
残念ながら、日本のマーケティング屋さんがこれでは、たぶん世界に歯が立たないなあ、というのが正直な実感である。

よって、☆とする。

実は、本書の中で、大変に鋭いと思って感心した指摘が一つあったのである。
終章ちかく、これからのマーケティングについての考察をするところで、マーケティングの「争点設定」が極めて重要なのではないか?という指摘を行っているのだ。
これは、大変に鋭い指摘で、いわゆる広告出稿量とかページビューとかいう「量」の議論に対して「質」を持ち込もうとする動きである。

卑近な例として、近く投票の都知事選を思ったのである。

今回の選挙で、与党陣営は苦戦するだろうが、その原因を「分裂選挙」だと考えると失敗する。ダメな分析だ。
分裂しない選択をとった野党は、統一候補ができたが、それでも苦戦であろう。(仮に候補者本人が、別の人物であったとしても難しいと思う)
統一したら有利、分裂したら不利なのは当然だが、そこに至る仮説の間違いがもっと根本的だろう、と思う。

おそらく、根本的なミスとは「猪瀬、舛添と続いてきた都知事に対して、都民は安定した実務型の候補者を望んでいる」という分析であり、どちらが実務型かという戦いをしようとしたことである。
だから、より実務型と思われる候補者を「商品」として企画したのである。この時点で、マーケティング失敗だろうと思う。
争点設定を間違ったのだ。
都民は「実務型の政治家」なんか、望んではいない。
誰が「実務型」として出馬しても、おそらく負けであろう。そこに争点はない。ない争点に対して、しゃにむに突撃する。ドン・キホーテの悲しさよ。
争点を間違った上で、いくら大量に露出しようが、組織を動員して「販売促進」をかけようが、出発点が間違っているので、どうにもならない。
「質」を間違うと「量」で補うことは不可能なのだ。
これが現代のマーケティングの著しい特徴であろうと思う。

いったい、誰が言い出したのか「都民は、実務型の政治家を望んでいる」などということを言い出したヒト。
責任をとるべきは、まず第一に、あなただと思いますよ。
さっさと名乗り出て、潔くしたらどうかと思うのですがね。