Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ねじれた直感

「ねじれた直感」アレグラ・グッドマン。

ボストンのある研究所。
そこで、ポスドクのクリフは、もう2年以上を費やした研究を放棄するように求められていた。
彼の研究は、ヌードマウスに乳腺がんを発症させ、そのマウスにある種のウィルスを注射して、そのウィルスの働きによりがんを治療する、というものだった。
レトロウィルスと呼ばれるある種のウィルスは、細胞分裂の際に自己のRNAを逆転写して、遺伝情報を書き換える。その性質を利用して、がん細胞の増殖を抑え込もうというアイディアだった。
しかし、研究は、今までまったく成果を上げていない。
研究所のリーダーは、クリフに他の研究者の補助に回るか、あるいは研究所をやめるようにほのめかす。
一方、クリフの手伝いをしていた中国人研究者のポスドクは、マウスの始末をしようとして、最新のR7というウィルスを注射したヌードマウスの乳腺がんが消えていることを発見する。
驚いたクリフは、ほかのマウスも調べる。
すると、実に6割を超える率で、マウスの乳腺がんが消失していることがわかった。
クリフは、この結果をすぐに研究所のリーダーに報告。
研究所は、思わぬビッグニュースに沸き返る。
ちょうど、研究所は資金難に直面していた。この結果を報告すれば、政府の補助金がおりることは間違いない。
研究所のリーダーは、クリフに対して追試の指示を出すとともに、研究レポートの発表を急がせる。

クリフと付き合っていた女性研究者ロビンは、嫉妬でクリフとケンカ別れをする。
彼女はクリフよりも年上で30台も後半である。
すべてを研究にささげてきたが、研究の結果は報われず、相変わらず地位もポスドクのままで、若い時期も過ぎてしまった。
同じく研究で苦しんでいたクリフと付き合ってきたが、そのクリフにいきなりスポットライトが当たった。
では、自分は?
彼女は、この現実が耐えられなかった。

一方で、クリフのレポートを見ていたロビンは、おかしな疑問に突き当たる。
マウスの数が合わない、という疑惑があるのだ。
ひょっとして、クリフは、結果のよくないマウスを隠して、データをよくなるように改ざんしたのではないか?
さらに、ロビンは自分の研究を中止して、クリフの研究を手伝うように命じられた。
ところが、彼女がいかにしても、クリフの結果は再現しないのである。

ますますクリフに対する疑惑を深めるロビン。
彼女は研究所の上層部に訴えるが、リーダーたちは、研究所の予算確保が優先だとして、彼女の訴えに耳を貸さない。
ついに、ロビンは研究所をやめるとともに、研究の告発を決意する。。。


研究所におけるポスドクたちの群像小説、というのがこの小説のキャッチコピーである。
たしかに、これはミステリではない。謎解きの要素はない。
クリフが不正を行った、という証拠は、最後まで出てこない。
ただ、少々実験の手間がずさんだった。だが、そのずさんさは、不正を意図してはいない。
いくつかの要因が重なり、クリフの結果は追試で証明されず、しかし、研究所は資金を得て、改心したリーダーによってもとの地味な(しかし確実な)研究に戻ったシーンでこの小説は終わる。
ロビンも、ようやく嫉妬から解き放たれ、もとの研究者に戻るのである。

評価は☆。

たいへん興味深く読んだ。
ポスドク(ポストドクター)と呼ばれる研究者たちの不安定な地位と、その中で苦しむ研究者たちの葛藤がよく描かれている。

この書を、例のSTAP細胞騒ぎと結びつけることは簡単だ。
おそらく、どの研究所でも、研究資金を確保するために、大げさな発表をする誘惑がある。
そして、焦るポスドクたちがいる。
研究結果が出なければ、いつまでもポスドクのままだ。博士になれないのである。
ポスドクである限り、年収は1万ドル台だ。日本円で、200万に足りない。
それでは、将来の生活設計がたたない。
発見をして、論文が認められて、やっと博士になって、ようやくなんとか食べていける世界である。
日本でも、大学教育を国際競争力強化の観点から、理系優先にしようという動きがある。
それ自体は、たしかに一つの方法である。
しかし、その制度のはざまに落ち込んでしまうと、ポスドクのまま青春を消耗させて終わることになってしまうのだ。
これはこれで、やはり損失ではないか。
国際競争力の強化が、こういうポスドクたちの死屍累々に支えられているとしたら、ずいぶん凄まじい話だと、思わずにはいられないのである。

ちなみに、私の大学でも、院に残ったやつが何人かいましたが。
どう考えても、民間ではうまくいきっこない人たちであった(苦笑)。

うまく、それぞれに向いた職場に入り込めれば、もっとも良いのだが。
こればかりは、天の配剤である。

人生にifはないのであるが、それでも「もしも、あのとき」と思わないことはないだろう。
思ったからといって、どうしようもないけれども、それでも考えると思うのである。

私の個人的な感想ですが、「ダメだと思ったら、すたこら早めに逃げ出す」
それも人生ですよ、ということかなあ。