Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

引退モードの再生学

「引退モードの再生学」残間里江子

本書は、かつて話題になった「それでいいのか蕎麦打ち男」に、文庫化を機会に加筆修正して改題したもの。
以前にウェブでこのエッセーは話題になっていたので、気になっていた。

読んでみて、思わず吹き出してしまう。
「いるいる、こういう人」という感じである。
定年間近となり、妻に「あなたも何か趣味をもったほうがいいわよ」と言われ、どういうわけか突然蕎麦打ちに目覚め、地域興しだのNPOだのという名刺ばかりを持ちたがる。
口を開けば「好奇心旺盛」が口癖で、自分の人脈やら経歴やらの披瀝に余念がないのである。
そのくせ、実はかつて学生運動などに影響されて左がかっていたくせに、本当に何かをやってやろうという話になると、途端に腰が引けるのである。

まあ、よくも「あるある」を並べたもんだなあ、と思う。
と同時に、なんというか、団塊世代の自意識の強さにも、驚きを覚える。
他の世代に、こんなに「俺たちは○○の世代」などという意識はないと思う。

評価は☆。
肩の凝らないエッセイとして楽しむのが一番だろう。


かつて、2007年問題とか騒がれた時期があった。
この年に、団塊の世代が一斉に退職する。すると、特に古いCOBOLなどの言語で書かれたシステムの開発経験者がいなくなる。
そうすると、メンテができなくなり、あちこちで問題が発生するだろう、というものであった。
ご存じのとおり、2007年問題は起きなかった。
企業が定年を60歳から65歳へ引き上げを図ったこともある。
しかし、だからといって2012年問題が起きたわけでもない。
古いシステムは、自然にフェードアウトして、静かに消えようとしている。
同じ事が団塊の世代にも言えるだろうと思う。
戦後の日本を背負って、高度経済成長時代からバブル時代を作り出し、その後の失われた10年を経て、団塊の世代は現役引退した。
気がつけば、子供はおろか孫の時代になっており、しかも彼らの子供たる「団塊ジュニア」は、子供を作らなかった。まあ、人のことは言えないが。。。
団塊の孫達は少なくなり、日本全体の人口も減少モードに入って、この国はゆっくりと黄昏の時を迎えている。
もう一花咲かせるぞ、が日本経済の単なるかけ声に終わったのと同じく(もう断定してよいだろう)団塊の世代の再生もかけ声だけで終わると思う。時代は、もう手の届かないところに動いたのである。

昨今、格差の拡大が言われるようになっているが、それは何も企業が内部留保をため込みすぎているからだけではない。
世の中の流れである。
PCの登場は、もともと人の間にあった生産性の差を、さらに拡大させた。
優秀なイノベーションを生み出せる一部の人にとっては、成功をさらに拡大させることができるのであるが、一方で、同じことを実現するのに、多数の人員を量でも質でも必要としなくなった。
少数の成功した人間が、生産手段を実質的に支配するような世の中になってきているのである。
労働者は搾取されているのだが、一人の人間から搾取できる富は減っているのだ。ITが、多くを肩代わりするからである。
開発した人が成功者で、販売するのがネットであり、回収もネットで行い、投資や運用もネットで行われる。
よって、開発ステージ以外の労働者の労働の質が「誰でも交代が可能な」もので充分な成功を収めることができるから、一人あたりの賃金を上げなくても、生産性に不安がない。
高給をもって報いるのは、開発者だけで良いのである。
日本人の労働者の給与が上がっていないのは、その源泉となる付加価値が低いからである。日本全体で開発者が少なすぎるのが原因だ。
マルクス経済学では、付加価値を人員に還元して考えるから、見えない付加価値(労働装備率といってもいいが、単純に金額でなく質がかかわる)が見えてこない。
今の経済の仕組み全体が「人間の果たす役割」をイノベーションの部分にのみ特化してきているのだ。

もしも、政府に「3本の矢」の第三の矢を出す気があるのであれば、開発者を支援しなくてはいけない。その意味では、大企業に減税して便宜を図る必要などない。(やっても別にいいけど)
もっと個人を助けないといけないのだが。。。

もはや世代論では語れない世の中になってきたと思うのである。
次の世代論は、おそらく人間でなくAI(人工知能)の世代論となるだろう。
そちらの影響のほうが、我々の社会に及ぼす影響が大きいのである。

このままAIがどんどん普及するなら、いっそ、人類は生産なんぞを諦めて、消費だけの人生になっちまうんじゃないかなあ。
何もしないで、一日ごろごろと無為徒食する。
冗談じゃない、という話もあるだろうが、ヘタなことをするくらいなら、そのほうが地球にとっても社会にとっても、なんぼかマシということだって、あり得ると思うんですがね