Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

平等は難しい

国連も、他人の結婚制度に口を挟んでいるヒマがあったら、もっと深刻な人権侵害が世界にはゴロゴロしてるじゃないか、と思うのであるが、そっちは「遺憾の意」だけでオシマイである。
なにしろ、人権侵害しているような国家は、共産主義だったり独裁制だったり(あ、同じことか)するので、国連ごときの勧告なぞ、蚊ほどにも感じないわけである。

勢い、文明国である我が国みたいなところに文句をつける活動に熱が入るわけで、早い話が、国連だの委員会だのという連中が「平等でない」のじゃないか(苦笑)。

まあ、それはおいといて。

性差による差別はいかん、というので、是正せよ、という話自体は、私だって理解はする。
しかしながら、最近になって問題になっているLGBT(同性愛者とか性同一障害とか)もその範疇にはいってくると、事態はフクザツ化するのである。

一例をあげよう。
将棋である。(あるいは、囲碁でもよいが)

先日、ひふみんこと加藤一二三九段が、ついに順位戦陥落確実となってしまい、引退確定となった。ご本人の会見は「まだ元棋士ではなく、棋士である(対局が残っている)。全力を尽くすのみ」という、実に立派なものだった。さすが、神武以来の天才棋士であり、態度も立派である。

その将棋界であるが、いわゆるプロ棋士によって戦われる順位戦は、すべて男性棋士による。「男女差別ではないか」といわれる向きもあるかもしれないが、それは違う。女性であっても、奨励会から4段を突破してくれば、ちゃんと参戦可能である。理由は一つで、現実に女性棋士が勝てないからである。(挑戦者はいる)
そこで、女性だけを集めて「女流プロ」が作られている。もちろん女性棋士だけでタイトルを争うのである。
さて、ここに、仮に性転換した「元男性」の「女性棋士」が参戦させろ、といったらどうなるだろう?
あるいは、「心が女性」な男性が「女流プロになりたい」と言われたら?
これって、拒否したら、「差別」となりませんか?

さて、おそらく、将棋というゲームは、男性の脳に向いているのである。
小学生のときは、男女の棋力に差はない。女子のほうが真面目に定石を覚えるので強かったりする。
ところが、中学生、高校生と進むと、男子の棋力の伸びに、女子がかなわなくなる。男女の脳の差としか思えないわけですね。(もちろん将棋というゲームに限っての話です)
結果、プロ棋士が男性ばかりになる。

もしもLGBTの「元男性」や「心が女性」の人が参戦したとき、その人の脳が「男性脳」である可能性は、充分にある。スポーツで女性選手の大会に「元男性」や「心が男性」の人が参加するのと同じ状態になることがあり得るわけだ。
これ、差別だと言われると厳しくないかな?と思うのである。

まあ、つまり。
世の中、意外に「平等」は難しい、のではないかなあ、と。
むしろ、差別のある明るい社会のほうが、良いかもしれないと思ったりするんですなあ。冗談ですがね。