Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

おどろきの中国

「おどろきの中国」橋爪大三郎大澤真幸宮台真司

橋爪大三郎という人は、私は「煮ても焼いても食えない」典型的な学者であると思っている。
じゃあ嫌いかというと、そんなことはない。こういう偏屈なジジイは好きである(笑)。
どこが偏屈なのか、ちょっとナナメに見ていると面白いのである。

本書は、その橋爪先生に加えて大澤氏、宮台氏というアクのつよげなメンバーによる中共の礼賛本である。
当たり前であって、このメンバーが中共をけなすわけがないのだ。
ただ、むやみに持ち上げるのは難しい国である。(笑)
では、どうやって持ち上げるのか?
そのトリッキイなプレイを思う存分楽しみ、「なるほど、理屈はこう使うのか」と感心するのが本書なのである。

鼎談の収録なのだが、最初から面白い話ではじまる。いわゆる「漢民族」とは、どういう定義をすればよろしいか?というのである。
そもそも民族の定義が曖昧なのであって、そこから「俺は漢民族だ」と思っていれば漢民族であるという乱暴ながら一理ある結論が導かれる。
その漢民族だけがやたら人口が多いのは、漢民族だと思いこんでいる奴が多い、という話になる。
そこで結局、なんだかんだといって儒教だろう、という話に落ち着いてくる。
儒教思想的にいえば、日本はオチコボレであり、朝鮮が優等生で、支那が先生である。
その儒教の思想という奴は「易姓革命」「天」「官僚」「科挙」いわゆる修身整家治国平天下である。
皇帝はもっとも有能であるので、天意によって皇帝である。天意とは、つまり農民が納得することである。
本来は皇帝は禅譲されることになるのだが、そのうち、面倒くさいので相続になる。
そうすると、無能な皇帝になる。しかし、無能でもその周囲が有能であればいだろうというので、抜擢制度ができる。
これが科挙である。
科挙によって抜擢された文官はたしかに有能なので、軍事のロジスティクスも握る。
すると、軍人がクーデターを起こしにくい。よって、文官優位の国になる。今で言うシビリアンコントロールである、など。
この儒教的な価値観は、家族がもっとも重要であり、次が幣(バン)と呼ばれる結合(=義兄弟)であり、その他はどうでもいい。
なので、実は支那人は、自分と自分の仲間さえよければ、あとはどうでも良いと思っている集合体である。
その血族部分が、文化大革命でぶっ壊れた。
なので、資本主義にとっては、とても都合がよいことになった、というわけである。


まあ、ずいぶん都合の良い(支那にとって)解釈の連発なのだが、雑学レベルで面白い。
それに、支那にどっぷり染まっていると、連中のエゴの強さには呆れると同時に驚きも感じるので、本書の指摘も当たっていると頷くことが沢山ある。
有り体にいって、かなり面白いのだ。鼎談という「言ったもん勝ち」の形式が功を奏したんじゃないかな。
評価は☆。

西欧近代化が何故日本はうまくいったか?などは華麗にスルーしてある。それは「たまたま」であるという(笑)
支那が遅れたのも「たまたま」なのである。
故に、だいたいは支那のほうが大国であり、瞬間風速で日本がうまくいっても、それは単に一瞬にすぎない、という見方である。
このあたりが橋爪大三郎先生のうまいところで、決して「歴史の必然」というとってつけたような無理解釈をしない。
面白いのは、橋爪先生のほうが、日本人よりもよほど支那人らしいことである(笑)。

歴史認識の違いについては、おそらく日支両国民の認識地図の違いに原因がある、と指摘する。
そして、歴史について、日本人のとり得る態度については2つの選択肢しかないだろうという。
1つは、生まれる前の話なんか関係ないので、謝罪なんかしない、というもの。
2つめは、ある程度の歴史を認めるけど、そこまで悪くなかったといって差し引くもの。
どっちにしても、本来は謝罪しつづけるほうが、日本のためであるというスタンスである。
まあ、謝るだけでタダなら構わないと思うが、実際には謝るとカネがかかるので、私は嫌である。
日支両国が親善したほうがトクになる、という前提が成立しないと思うのである。
あの小泉元総理は、いまだに支那からボロクソに言われているのだが、別に経済の上では問題なかった。
支那も金儲けで日本が必要ならば、つきあうのである。
確かに「爆買い」はなくなるだろうが、あんなもの、銀座でわあわあ騒がれても迷惑なだけなので、どうでもいい。

橋爪先生も認めているように、日本としては、米国陣営につくしかない。
支那陣営についても、あまり良いことがありそうにない。
独力で頑張りますといっても、米中両国に比べると、我が国のポジションは小さい。しょせんオマケなのだ。
オマケのくせにヘタな気を起こした例が韓国である。バランサーなどといって、米中両国の「良いとこ取り」をしようとして、にっちもさっちもいかなくなった。
浅知恵で外交するとロクなことはなく、まだ金魚のフンのほうがマシ、ということである。

私見ですが、支那の今後はさして明るいとは思えない。
もちろん重要なプレーヤーではあるが、最大の問題は少子高齢化である。
日本も困っているが、長年の一人っ子政策支那はもっとひどい。
人口は、もっとも正確な未来予測である。
これから内需主導経済に切り替えなくてはならないところで、少子高齢化が始まってしまった。
富が行き渡らないうちに、高齢化が始まってしまったので、日本よりも状況が悪化するだろうと考えている。
最近一人っ子政策を改めたが、すでに近代化を始めたので、もう子供は増えないだろう。
手を打つのが遅れたのは、日本と同類である。
最終的には、日本と同病相憐れむ状態になって終了、という予想をしている次第だ。
まあ、それまでは、やたらにカネをむしられないように、適当に表面的につきあっておくのが良いと思われる。
一帯一路なんて駄法螺に、まともにつきあってはいけません。