Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

(日本人)

(日本人) 橘玲

「にほんじん」ではなくて「かっこ にほんじん」と読むのだ、このタイトルは。
リバタリアンとして名高い(と私が勝手に思っている)橘玲の渾身の日本人論である。

最初に著者は言う。
「日本人の特長と思われていることから、世界共通のものを引いて、残ったものが日本人の特質であるに違いない」
これは、論理的に間違っていない。
そして、この論に従って本書の検証は進んでいく。
すると、予想外のことがわかるのである。
たとえば「ムラ社会」だが、実はアジアの農村では、驚くほどみんな村社会である。(タイの例)
日本人の特長=ムラ社会論は、簡単に論破されてしまうのだ。
「災害時に助け合う日本人」も、実は世界の例を見ると大災害時に助け合うのはごく普通に見られることであって、暴動が頻発するというのは大いに報道バイアスによるものである、と氏は論証する。
レベッカ氏の「災害ユートピア」などが引用される。だいたい、ぐうの音も出ない(笑)。

さて、そうすると、日本人の特質としてあげられるのは何か。
著者はここで「空気と水」のうち「水」に着目する。
空気は、山本七平の「空気の研究」で名高いのだが、実はその山本氏が「水」にも言及している。しかし、その後の日本人論では「空気」ばかりが注目され、「水」はほぼ無視である。
「水」とは何か?
「水を差す」という「水」なのである。
他の民族の熱狂と違って、日本人はすぐに醒めてしまう。「水を差されて」先ほどの勢いはどこへやら、すぐにしゅんとなる。
戦争までは「天皇陛下ばんざい」が、戦争に負けた途端に「拝啓マッカーサー様」なのである。コペルニクス的転回(笑)だけど、日本人は平気なのである。
それはなぜか。身も蓋もなくいえば「そのほうがトクだから」である。
この世俗性(つまり、損得勘定)の強さが日本人の特長だ、という指摘なのである。

日本人は世界一、世俗性が強い(抽象的な思想を評価しない)。
戦争をしたのは、「戦争をすれば勝つ、そして儲かる」からである。
戦後、がらりと態度が変わったのは「儲からないことがわかった」からである。ああ、損したと思ったのが日本人の「反省」なのである。
一億総懺悔というが、なんのことはない、誰も責任を取らなかった。
当たり前であって、善悪で戦争をしたわけではなくて「目算が狂った」のである。悪は非難されるが、目算の狂いは「残念」だけど「悪」ではないのだ。
そんな日本人の特質は、万葉の昔から変わっていないのである。
聖徳太子が十七条憲法に「和をもって尊しとなす」と書いたのは、そうでもしないと「個人主義」の日本人をまとめる方法がなかったからだ。


評価は☆☆☆。
これは大傑作だ。読まないと人生を損するレベルである。
ああ、全くその通りだと思う。
この本の趣旨は、養老孟司の「無思想の発見」と相似する。
日本人は徹底的に「具体的」で「理念」や「哲学」を評価せず(そもそも判断基準にしない)具体性を重んじる。
その具体性とは、一言でいえば「現世思想」損得勘定なのである。
仏教をみよ。
深遠な仏教哲学は、日本人には受けなかった。日本にきて仏教は「念仏やお題目を唱えれば、誰でも成仏」「あまつさえ修業などしようもんなら即身成仏」というインスタント宗教になったのである。
成仏するのに、あまりに効率が悪いのは日本人には受けないのだ。
ついには、クリスマスを祝って天皇誕生日を喜び、除夜の鐘をついたあとに初詣に行くという仕儀となった。
今や結婚式で(キリスト教徒でもないのに)教会でベールをかぶり、死んだらお坊さんで葬式をあげる。
だって、ウェディングドレスが着たいんだもん(爆)現世利益以外の何モンでもないわな。

ムラ社会だってそうだ。
農業をやっていると、嫌な相手だって、来年も再来年も一緒にいないといけない。
で、工業化社会がやってくると、日本人はあっさりムラを捨てた。ムラがなくても食っていけるようになったからだ。
今や、日本のムラは人口減少で滅亡寸前である。
ムラ社会は、日本人の特質でもなんでもなかった。どうもお疲れさま。

そんなわけで、グローバル化する現代の中で、もっとも世俗的な日本人は、ついに個別の社会で暮らすようになった。
しかし、それで幸福なのかどうかは、また別の問題である。
たぶん、日本人は、また次の「トクな」生き方を探しあてるに違いない、と私は思う。
これは私の予想だけど、きっと日本人は著者が期待するような、個人として独立したリバタリアン的な生き方なんてしないと思う。
責任と権限が等価なのは、別にトクじゃない。
責任が軽くて、権利が大きい方がいいのだ。普通は成り立たない、そんな世界は。
しかし(日本人)は、そのあたりを旨く誤魔化して、とってもオトクに生きていくのじゃなかろうか。
私は、そんな日本人の「身勝手さ」「利己主義」を、大いに評価する。
坂口安吾堕落論を待つまでもなく、日本人は堕落している。
それこそが、もっとも賢い生き方だという皮肉を理解するくらい、日本人はオトナだ。
私は、なお日本の未来を信じている。