令和の時代になったが、天皇家の後継問題では、いまや悠仁さましか時代を担うかたはいらっしゃらない。これでは大変だというので、女系天皇論がくすぶっているようだ。
私は、女系天皇なる奇怪な存在には断固、反対である。
フランス革命では、キリスト教が認めた国王を処刑して、あらたに民主主義という仕組みをとることにした。人民自身による政府をつくることになったのである。だが、問題は「誰がそれが正しいと決めたのか?」であった。
国王は、神が「この国土を治めなさい」と命じたので王なのである(王権神授説)。
しかし、聖書のどこにも「民衆がこの国を治めなさい」などと神は命じていない。では、民主主義の正当性をどう主張するか?
そこでロベスピエールが考え出したのが「最高存在」である。
この「最高存在」が、民衆の理性が正しい、ゆえに民衆が国を治めるべき、と命じてくれたことにしたのだ。
いわば、民主主義の正当性を主張するために、人造神を作ったのである。
「女系天皇」も同じである。
日本国憲法第1条には、天皇は国の象徴であると書いてある。内閣総理大臣も選挙結果に基づいて、天皇が命じるのである。天皇がいなくなれば、現憲法の統治の仕組みが機能しないから、少なくとも天皇にかかわる条文を削除するなど改憲をしなくてはいけない。
で「人造神」として作られたのが「女系天皇」である。
たとえていえば、馬を「うま」というようなものである。おなじ四足でも、鹿を「うま」とは言わない。四足にはちがいないじゃないか、というのは馬鹿な話で、そもそも言葉がおかしいのである。
皇室でも、女系のかたを「てんのう」とはお呼びしない。皇室には違いないじゃないか、というのは馬鹿な話で、そもそも言葉がおかしいのである。
つまり、「女系天皇」は、歴史上に存在しなかった概念であって、新たな造語であること、明らかである。
今の天皇のお父さんのお父さんの、そのまたお父さん、、、、と男親を辿っていくと、最後には神武帝に行き当たる。まあ、欠史八代の天皇はフィクションなのだろうが、有史以来といえば継体天皇に行き当たるのである。それでも1600有余年昔だから、世界一古いことに変わりはない。これが伝統である。
で「男系天皇」と同じように、お母さんのお母さんの、そのまたお母さん、、、と遡る。簡単ですが、皇室にはたどり着かない。お母さんが愛子さん、そのお母さんは雅子さん、そのお母さんは小和田家の人である。
言葉の定義として「お父さんのお父さんの、そのまたお父さん、、、」とたどれば皇室祖先に行き着くのが「(男系)天皇」ならば、女系は「お母さんのお母さんの、そのまたお母さん、、、」というふうに「男親と女親を入れかえて」成立しなければヘンである。
そうであって、はじめて「男系」「女系」であろう。
なんでそんなことをせねばならんのか?
いかにも「男系天皇の女系版ですよ」といった顔をした言葉である。
しかし、その実態は、女系を辿っても愛子さまでオシマイの「新王朝」の開設なのである。
私は、かかる人造天皇の考え方に、まったく賛成しない。
そんなマガイモノは、まっぴらごめん蒙る。
別にどうもしない。
それでいいじゃないか、と思う。
憲法改正でもすればいい。
最近は、「国民からの敬愛」が大事らしいから、いっそアイドルグループのように「総選挙」をして、誰がもっとも国民の敬愛を受けているかを決めればよい。さんま、たけし、タモリも立候補したらよかろう。
そして、実際に皇室の持ち物である三種の神器は、あれは国家財産ではないので、皇室内でどなたか相応しいかたに相続されることになる。
皇居も政府に返して、皇室の方にはもとの京都御所にお帰りいただく。
京都御所に、今まで千年以上続いてきたやり方で、3種の神器を相続された私人がどなたか、お住みになることになる。
この国民に、相応しい天皇を持てばよい。