Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

妻に捧げた1778話

「妻に捧げた1778話」眉村卓

 

私が初めて読んだSFは、眉村卓の「なぞの転校生」だった。小学生だった(たぶん4年生)私は、そのお話にいたく感動し、読書感想文まで書いたのだ。
担任の教師はおもしろがって「エスエフ?なんじゃそりゃ」と言っていたが、以来「SFといえば」ということで覚えられた。
当時は五島勉ノストラダムス本などが流行しはじめており、「あれもSF」かとよく聞かれたものである。
もちろん、私は子供心に、ノストラダムスはSFではないと考えていた。
立派な理由があるからではなく、当時の私はノストラダムスをかなり本気で信じており、「オハナシ」であるSFとは違うと思っていたのだ(苦笑)。

 

本書は、そんな思い出のある眉村卓によるショート・ショートのアンソロジーである。
それが「妻に捧げる」なのは、理由がある。
長年連れ添った奥様がガンになってしまい、発見されたときは既に転移していた。医者によると、余命5年はないだろう、という。
著者はそこで、何が出来るかを考える。
そして、読書好きの奥様だけを読者にして、毎日原稿用紙3枚以上のショート・ショートを書くことにしたのである。
考えてみればわかるが、これは相当の難行である。
奥様は3ヶ月目くらいに「やめてもいいんやで」とおっしゃられたという。
著者は「お百度みたいなもんやから」と答えた、という。
貴重な日常を続けたい、という希望がこめられていたのだろうと思う。

 

結局、このショート・ショートは1778話が書き続けられた。
最後の1778話目は、奥様がお骨になって自宅に帰られた日に書かれて、そこで終わった。(最後は、涙なしに紙面を見られず。)


評価は☆☆。
たしかに、これはショート・ショートではある。しかし、あの星新一のような、練りに練られたストーリーという感じではないだろう。
それはそうだ。なにしろ1日1話である。構想を何日もかけて練るわけではない。


そのオハナシの中から、著者自身の祈りにも似た思いがじんわりと染み出してくる。
幸福とは、何か大喜びするような劇的な出来事のことではなかった。
ただ繰り返される平凡な毎日こそが幸福だったのだと、これらの掌編が教えてくれる。
奥様がいよいよ、となったとき、ついに著者の感情があふれ出してしまい、「オハナシ」であることをやめてしまう。

 

愛猫を撫でてやりながら、ゆっくりと読んだ。
考えてみれば、この猫が我が家にやってきて(ほとんど押しかけてきたのだが)もう10年が経った。
色々なことがあり、ずいぶんなこともあったが、今こうして、やっぱりこの猫と一緒に本を読んでいる。
これが私の幸福である。