Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

京都ぎらい

「京都ぎらい」井上章一

 

2016年に話題になった新書。
本を読んで、思わず笑ってしまうことは珍しくない。
しかし、苦笑や微笑を通り越して哄笑することは少ない。
本書は、読みながら思わず哄笑してしまった。それも、腹を抱えて、である。腹筋が痛い。

 

まず、本書では「京都出身」という際の「洛中、洛外」の違いを問題にする。
著者の出身地は京都でも嵯峨だそうである。
すると、洛中(京都市内の、いわゆる昔の平安京のエリア)の人はこういうのだ。
「へー、嵯峨。嵯峨でも京都いいはりますのんか。ほー」(爆笑)

私が腹を抱えて笑ったのには理由がある。
私が新卒で、まず入社した会社の本社が京都だった。
私の勤務地は東京支社だったのだが、当然に、社内には京都出身者がいっぱいいたのである。
そいつらが、まったくこういう話をするわけだ。

 

まあ、ことさらに、京都人だけがそういうわけでもあるまい。
たとえば、東京都内だって「港区」と「足立区」の間にヒエラルキーはある。ない、と言ったら嘘になる。
まあカースト上位が港区、中央区、ついで渋谷区あたりか。
カースト下位は足立、江戸川、ついで葛飾、北あたり。
それでも、葛飾は「両さん」やら「キャプテン翼」やらのおかげでイメージは改善したし、北区赤羽はブームで人気が高い。
私なんざ、10年以上赤羽に住んだベテランの赤羽人からすると、最近のブームは薄っぺらだと思うが(苦笑)洛中人と変わらんな。


というわけで、新書一冊、えんえんと洛外の人からの洛中人に対するルサンチマンで埋め尽くされている怪著である。
これを評価せずして、いかにせん。というわけで☆☆。

 

本書の末尾に、「日の丸、君が代、そして靖国」という章が設けられている。
日本の歴史上、神様として祀るのは「怨みを抱いて死んだ人が怨霊にならないよう」というものだった。これは、怨霊信仰というやつである。
であるから、政争で負けたり戦争で負けて死んだ相手を、神として祭り上げたわけである。
ところが、靖国はご存知のように、一貫して官軍側しか祀っていない。これは歴史のフォーマットからすると、過去の怨霊信仰から外れていて、新しいやり方(まあ、江戸時代あたりから)ではないか、というのである。
この指摘は正しいと思う。
付言すれば、ことは何も靖国に限らんのである。
東照大権現だって、豊国大明神だってそうではないか。
あるいは、上杉神社武田神社はどうなのだ。ああ、武田神社の勝頼公はそうかもしれないが。
つまり、京都が首都だった時代は怨霊信仰であるが、江戸という無粋な町に首都が移ったと同時に、神社が怨霊信仰から顕彰施設に変貌した、ということだろう。
しかし、私は別の考えを持っているのである。
靖国では、当然のように「死んだ軍人」しか祀られていない。生き残った人が対象にならないのである。
ひょっとしたら、軍人として死ぬということについては、実は無念であるという意味なのではないか、と思うのである。
敵軍と日本軍が戦って、敵軍に殺される。そうすると、怨霊が祟るのは敵軍であろう。
ところが、当の死んだ軍人が「こんなフザケタ戦争に俺を駆り出しやがって。おまけにボロ負けで、食うものもない。腹をすかせたまま、死ななきゃならん。なあにが大東亜共栄圏だ。そんな小理屈は死んでからこねろ。こっちも大変なのに、よその国の独立なんざ、知った話か、馬鹿野郎。俺になんの得がある」と思って死んだ場合は、たいへん怨みがある、と思うべきである。
そうすると、敵軍よりも、まずこの日本軍人の怨霊を鎮めなければならんではないか。
維新の奇兵隊以来、政府軍は農家の息子を多くの戦場に送って死なせてきた。
彼らは、武士という生粋の軍人ではないのである。世が世なら、故郷の田畑で平穏な生を送れたはずのものだ。
おそらく、敵軍の霊よりも、遥かに日本兵の怨霊のほうが恐ろしいと、そのようなことを靖国宮司たちは悟っていたのではないかと思うのでありますなあ。