Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

さよならドビュッシー

「さよならドビュッシー」中山七里。

有名な「このミス」大賞受賞作。
どこにも行かない夏休みの暇つぶしに、たまには国産ミステリを読んでみるべい、と。

私は意外にクラシック音楽が好きである。
というか、流行音楽のリズムだけ、アホでも分かるぶつ切り音階、みたいな音楽が嫌いである。単純すぎて、イライラする。
歌がない音楽というのは、クラシックもジャズも聴く。それなりに聴き応えがある仕掛けやら展開があって、退屈しない。いや、退屈も味、というべきか。
あ、でも最近でいうと、米津玄師は別格にすごいとは思う。もともとボカロの作曲家だけあって、音数の多さとへんてこなコードの使い方はさすが。ちょっと田舎っぽい感じも悪くない。

閑話休題
ミステリの表題に大作曲家名が入っていて、それもドビュッシーが結構好きだというだけで手にとったわけである。

物語は冒頭、主人公の女子高生遥と、彼女の従姉妹のルシアが同居するところから始まる。
彼女たちの祖父は大資産家で、ルシアは両親がスマトラ地震で被災して亡くなったので、祖父が引き取った。
ふたりともピアノを勉強している。
ある日、両親が出かけることになり、二人は祖父の済む離れに泊まることにした。
ところが、この夜、離れが出火。
火災に巻き込まれて祖父とルシアが焼死、大やけどを追った遥だけが皮膚移植を受けて九死に一生を得る。
遥は音楽高校の特待生であったが、ピアノどころではなく、まずリハビリからはじめなければならない。
そこに、若きピアニストの岬が登場。
遥のピアノ教師をすることになる。
岬のピアノの教え方は独特で、正しいピアノの練習はそのままリハビリである、というのである。ハイフィンガー奏法(たまごを掴んだ手の形)を否定し、動きやすい指の形を探させる。
この岬が、遥の周辺で起こる事件の謎を解いていく、という趣向である。
一心にピアノに向かう遥だが、ある日、階段のすべり止めが外れて、松葉杖をつきながら階段を上がっていた遥は足を踏み外してあわや転落事故の危機に遭う。
一緒にいた岬が受け止めて難を逃れるのだが、階段の滑り止めには何者かによって接着剤が剥がされた形跡があった。
次は、松葉杖の留め金が外れる事故が起こる。現在の松葉杖は長さを調節できるように、足の部分が伸縮して留め金で固定する。その留め金が外れたのだが、これも留め金に切断した工作のあとがあった。
誰かが、遥を事故に見せかけて殺そうとしている、と思えた。
岬は不思議なことに「もう事故は起こらない」という。
事実、そのとおりに遥の身辺では事故が起きなくなった。
そして、今度は遥の母親が、買い物から帰宅する途中、近道にしている神社の階段から転落して死亡する。
最初は単なる事故かと思われたが、警察は事件を疑う。重い荷物をぶら下げて石段を上がる人は前かがみになるわけで、そうすると足を踏み外した場合に前頭部から転がるはずである。しかし、遺体は後頭部から転落していた。
誰かが上から突き飛ばしたのではないか、というわけである。

一連の事件のなかで、遥はコンクールのドビュッシーに集中する。
岬も全力でそれを支える。
そして、ついにコンクール本選の日を迎える。
見事な演奏をした遥に、岬は事件の謎解きをしてみせる。。。


本編の中で、ショパンのピアノ・ソナタベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」、ドビュッシー前奏曲が取り上げられている。
すべて有名曲なので、自室のCDを引っ張りだし、BGMで流しながら読んだ(笑)
休日なので、いくらでも時間がある。実に楽しいものである。

途中から「おかしい、おかしい」と思っていた謎だが、やっぱり最期に解けた。
たぶん、そうじゃないかなという予想をしていたので、ああ、やっぱりという感想。
でも、この小説は謎解きがメインとはいえないと思う。見事なピアノコンクールの描写、各曲のガイドが素晴らしい。
クラシック好きなら読んで損はないので、評価は☆。

本書の中で、岬は何度も「世の中は悪意や偏見に満ちている」という。「だから、戦え」というのである。
私もそう思う。この世界は、残酷で、容赦がない。


私にすれば、世の中は「戦う」ものではなくて「生き延びる」ものである。
まあ、戦った時代もあったが(苦笑)もはや年齢的にも撤退戦に入ろうかという時期なので、ずっと戦い詰めじゃあもたない。
いかに生き延びるか、思案するべきところなのである。
それでも、最期は「ま、なんとかならあ」
実際、そうやってきたのだ。実にいい加減な男ですなあ。。。