Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ソハの地下水道

ソハの地下水道」ロバート・マーシャル。

第二次世界大戦下のナチス・ドイツによるユダヤ人迫害は、まさに民族絶滅を狙ったという意味で史上最悪の出来事である。
ポーランドに侵攻したドイツ軍は、ユダヤ人たちをゲットーに集め、収容所で働かせる。劣悪な環境で働けなくなると「最終解決」をするのだ。
本書は、そのナチスから地下水道に逃れたユダヤの人々のドキュメンタリー小説である。
なお、いい機会だから言っておくが、我が大日本帝国は、そのような民族絶滅を意図したことはない。
結果的にナチの片棒を担いだのは返す返すも残念であるが、一緒にしないでもらいたい。
敵対する支那人だって、鬼畜米英だって、さすがに民族絶滅を意図したことはない。
東亜の開放がお題目に過ぎなかったという批判は甘んじて受けねばならんでしょうが、ナチの同類扱いだけは我慢ならん。

まあ、それはおいといて。

舞台はポーランドのルヴフ。この都市はもともとオーストリアだったらしいのだが、ポーランドとの国境に近く、オーストリアが没落したのでポーランドのものになった。
で、ユダヤ人たちが多数住んでいたのだが、そこに第二次大戦が勃発する。
すると、ポーランドはたちまちドイツとソ連に分割占領されてしまう。ルヴフはドイツが占領することになった。
すると、たちまち猛烈なユダヤ人狩りが始まった。
ユダヤ人を捕まえて収容所に連行するのである。
裕福なユダヤ人のヒゲルは、仲間のユダヤ人のために、ユダヤ人狩りがやってきたときに逃げ込む隠し部屋をこっそり作りまくっていた。
そうして、なんとか生き延びていたのだ。
ところが、ある夜、ついにナチスが根こそぎゲットーを襲い始め、逃げるものは容赦なく射殺するという事態になった。
逃げ場を失ったヒゲルと彼の家族、少数の知人たちは下水道に逃げ込む。
すると、下水道の中で、下水道の維持管理をしているソハたち3人に出会う。
ユダヤ人をナチスに差し出せば報奨金が得られるので、ヒゲルたちは危険だったが、もはや逃げ場はない。
ヒゲルは、ソハに「カネを払うから見逃してほしい」と持ちかける。
ソハは「それは良いが、このままでは生き延びられないぞ」という。
そこでヒゲルは、ソハに自分たちが地下水道で生き延びるのに力を貸してほしい、そうすればカネを支払うと持ちかける。
ソハは一両日考えてみる、といって姿を消したが、翌日やってきて、わかったというのである。
こうして、地下水道になれたソハの案内で、ヒゲルたちはどうにか避難生活を続けられるスペースを見つけた。

たくさんのユダヤ人たちが地下水道に逃げ込んできたが、ソハはヒゲルに「あんたたちは助ける。しかし、こんなに大勢は無理だ」という。
集団で逃げこんだユダヤ人たちの中で、ヒゲルとその家族、少数の仲間だけがソハの運んでくる食料や雑貨を頼りに生き延びることになった。
残りのユダヤ人は、空腹に耐えかねて外に出たところを待ち構えていたナチスに射殺され、そうでない者たちは一緒に逃げてきた医者が処方した青酸カリを飲んで死んだ。
生き延びたのがヒゲルたちだけだったのだ。

避難生活を続けるうちに、ソハは思いがけないことを白状する。
実は、ソハは下水道の修理人のかたわら、空き家を見つけては窃盗を繰り返す犯罪者だったのだ。
そんな自分に嫌気が差していたソハは、ヒゲルが名のしれた立派な男だと思い、そんな男に頼まれた自分が誇らしく、協力する気になったのだった。
もしも、ユダヤ人を匿っていることがわかれば、死刑である。
しかし、ソハは、この人達を生き延びさせることは、自分の犯した罪を神様に許してもらうための償いだと考えるようになった。
やがて、ヒゲルのカネは尽きた。
ヒゲルがそれをソハにそっと告げると、ソハは「それじゃあ、しょうがないな」といった。
もうダメだとヒゲルは考えた。
ところが、その翌日、まったくいつもの通りにソハは食料をもって現れた。
そして、地下水道のスミで、ヒゲルに「カネを払っているしぐさをしろ」という。
「オレは、タダで仕事をする男だと思われたくないんだ」
以後、ヒゲルはソハに「カネを払うふり」を続ける。
ヒゲルの妻意外は、誰も、ヒゲルのカネが尽きたと思わなかったのである。

やがて、14ヶ月が過ぎて、ついにルヴフにソ連軍が現れた。ナチスは退却。
ヒゲルたちは、ようやく地上に出られることが出来たのである。。。

 

生き残った人々の手記を再構成して小説にしたものである。
なんとも、凄まじいとしか言いようがない話である。
地下水道に逃げ込むまでも、逃げ込んでからも、つねに死は隣り合わせで、実際に地下水道の水に落ちて命を落としたものもいる。
何日かソハが来られなければ、それでただちに餓えてしまう。
ほかにどうしようもない。極限状態である。
それでも信義を守り通したソハが、実は犯罪者であったというのも興味深い。ソハは、おのれのルールには忠実な男だが、権力には忠実ではなかったわけだ。
世の中で、何が正義かなどということは計り知れないのである。
評価は☆☆。


さて、自民党の総裁選挙たけなわで、おそらく菅官房長官が圧勝である。
石破候補は、ソシャゲの「あつ森」を利用しようとして、どうやら任天堂利用規約に触れるというので「そんなことも調べなかったのか」と叩かれている。
日本人は、負けるやつには冷たい。
ところで、この「あつ森」だが、アメリカではバイデン候補が利用している。
聞けば、米国では同様の規約がないのだという。
これは、シンプルにいえば「政治的な自由が、アメリカにはあるが、日本にはない」状態なのである。
さて、SNSでの表現も、なにもかも自由というわけにはいかない。犯罪予告や個人への誹謗中傷は、そのまま特定の人に害をもたらす。
しかし、政治的な主張は、そうではない。
「あつ森」はゲームだがSNS機能をもっている。
自分がカネを払って利用するコミュニケーションツールにおいて、そのような規制が(しかも米国とはわざわざ異なる)されてよいのか?
日本は表現の自由があり、検閲をしないことを憲法で定めており、それに反対する国民は基本的にいないのではないか。
もしも、政治的発言はNGというルールを徹底するには、「あつ森」内で検閲するしかないだろう。
私は、大反対である。
石破氏を支持する気は毛頭ないが(外交姿勢が信用できないからだ)しかし、話がそれとこれは別だ。
電波を使うサービスで、不特定多数が利用可能なものについては、絶対に自由であるべきだ、と私は考える。