Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

訴訟王エジソンの標的

「訴訟王エジソンの標的」グラハム・ムーア。

本書は歴史的史料に基づいて書かれているが、小説の構成上、歴史上の出来事の順序をちょいとずらして、面白くオハナシを作っている。
言うなれば、あくまで歴史に史料をとったエンタメ小説である。しかし、出来事自体はすべて事実なので、これを歴史小説と称しても問題ないように思う。
何しろ「小説」なのだ。あいだの事情は、作者が自由に空想して良いわけで、しかも「もっともらしい」。
早い話が小説などというものは、元来「もっともらしい嘘」だと思う。
最初から「これは嘘です」と言っているのはSFということになるわけで、よってSFの本質は「開き直り小説」だということになるんだなあ。

閑話休題
本書の主人公はポール・クラバス。ロースクールを優秀な成績で卒業したが、すぐに客がつくわけもない。
で、ある法律事務所に世話になる。
そこに、父親の紹介で、有名人のパーティに行く。その有名人こそ、ジョージ・ウェスティングハウスだった。
ウェスティングハウスはクラバスを気に入る。「失うものが何もなければ、恐れることはないだろう」というわけだ。
ウェスティングハウスは、エジソンと電球特許の訴訟中で、300件を超える裁判を起こされていた。
エジソンの電球特許は有名で、こんなに分の悪い裁判はない。つまり、普通の弁護士なら、まず怖がって受けない。
しかし、顧客をもたないクラバスは、この仕事を引き受けるしかなかった。

クラバスは、とりあえず訴訟を引き伸ばしながら、なんとか電球特許をくぐり抜ける方策がないかと考える。
そこに、とてつもない奇人が現れる。彼の名はニコラ・テスラといい、セルビアからやってきた。
最初にエジソンの会社に努めたが、テスラが週給を増やしてくれといったところ、エジソン
「お前のようなやつの代わりの人間は、いくらでも週給18ドルで見つかるのだ」と言い放って拒否する。
テスラは怒り、エジソンに対して敵対しているウェスティングハウスに入社した。
そのテスラは、ウェスティングハウスで交流送電システムを開発する。
エジソンは直流送電システムを頑固に進めていた。電気機器は、最終的に直流を使うものが多い。それなら、最初から直流電流を供給すればいい、というのがエジソンの考えだったようだ。
しかし、直流は距離が伸びると電流損失が大きく、発電所をあちこちにつくなければならなかった。
テスラの交流システムなら、町にひとつ大きな発電所をつくれば良い。
こうして、エジソンの会社EGE(エジソンゼネラル・エレクトリック)とウェスティングハウスは、あちこちの都市で送電システムの売り込みで競合する。
これに対してエジソンがとった手段は「交流は危険だ」というデモンストレーションを行うことだった。
あやしげな自称発明家に裏でカネを出して、動物に交流電流を流して感電死させるショーをあちこちで行った。
ついには、死刑のための電気椅子を提供する。交流はこんなに恐ろしい、というわけだ。
しかし、実際には、交流は直流と比較すれば安全性が劣るものではない。

しかし、エジソンは、電球を売りまくり、ウェスティングハウスの販売網を圧力をかける。
ウェスティングハウスは資金繰りに窮して、いよいよ危機に立たされる。
クラバスは必死に資金をつなぐための活動に協力するが、もはや時間の問題と思われ、同事務所の先輩弁護士の助言に従って破産準備を行う。
ところが、そこである人物の助言を受けることができた。
その人物とは、唯一エジソンに特許訴訟で勝訴した人物、グラハム・ベルだった。
ベルは、エジソンの弱点は、その訴訟そのものにある、と指摘する。
その意味を理解したクラバスは、EGEの大株主、JPモルガンに面会することに成功する。
クラバスの予想どおり、モルガンEGE社が特許訴訟に莫大なカネを使い、収益性が悪いのに不満だった。
クラバスは画期的な提案を行い、ウェスティングハウスを救う。。。


極上のエンタメであり、有名な電流戦争の有様を生き生きと伝える。
たいへん面白い。評価は☆☆。

エジソンは、自分のイメージを「夜も短時間の睡眠でひたすら発明に熱中する男」として演出していた。
しかし、その実態は、まさに訴訟王で、かつ、組織的な「発明会社」をつくっていた。
ある課題を見つけると、エジソンの会社のチームが改良点をしらみつぶしに実験する。
その実験結果をもとに改良を行い、それをエジソンの名前で特許として出願する。
そうして製品を売り出す、というもので、今まで類がない「発明会社」だった。
(今では、どんなメーカーも同じやり方をやっている)

これを、弁護士事務所の世界に応用したのがクラバスだった。
訴訟の下調べや原稿作成をアソシエイトという助手たちに分担してやらせ、自分はその上で弁護士として法廷にのぞむ。
いわば「訴訟会社」をつくった。
これが、現在のアメリカの大手弁護士事務所のモデルになった。
なんと、驚くべきことに、エジソンは弁護士事務所の経営のやり方まで発明していたのである。
なんともはや。